【初産 出産レポ】 完全破水から始まったお産。私を救ってくれたもの。

出産を控える妊婦

私の出産エピソードは7月末の朝方4時、自宅ベッドでの完全破水から始まった。

いつも通りベッドで仰向けに寝ていたのだけれど「パシャッ」という音で目が覚め、何事かと驚いている間にお尻や太もものあたりがぶわ〜っと生あたたかく湿ってきて慌てて体を起こした。ネイビーのシーツに大きくシミができていて、もしやという冷静さと想定外のパニックとで「わっ…わっ…」とガタガタ震え、「破水、破水したかも!」と泣きそうになりながら叫ぶ。出産の順番として陣痛からの破水と記憶していたのに思いがけず破水から来て、えっちょっとどういうこと!?となんかもう慌てまくった。半分開いていた引き戸からは煌々と明かりが漏れ、その引き戸をガッと開け切ると徹夜で仕事中だった旦那さんが起きていて「落ち着いて」と言ってくれるも、下半身がびしょびしょでなんならまだ流れてきているのに落ち着いてなどいられない。「病院に電話しなきゃ、電話、早くっ」と、もう絶望的にあわあわしながら携帯を取る。かかりつけの病院に電話がつながり状況を伝えると、「大きめのナプキンをあてて、それでも間に合わなければバスタオルもあてて来てください」と言われたので、電話を切った後急いで登録していた陣痛タクシーを呼び、トイレに駆け込む。白いパンツは薄いピンク色に濡れていて、まだなおたらたらと流れてくるものだからこんなに羊水が出てしまって赤ちゃんは大丈夫なのかと不安になったが、幸いまだ陣痛もなくどこか痛いところもなかったからなんとか心落ち着け、大きめのナプキンをあてがった。リビングからトイレまでの道にはしっかり薄ピンク色の水玉ができていて、完全に破水したことを改めて理解する。
すぐに陣痛タクシーが来てくれたから、旦那さんと一緒によぼよぼ背中を丸めてエレベーターで下まで降り、ビニールシートが敷かれた後部座席に乗り込み横になる。下北の住まいから新宿の病院まではタクシーで15分くらいだから近いのだけれど、こんな状況だからかものすごく長く感じて早く着いてー!しか頭を巡らず、隣には徹夜明けで疲労した旦那さんがいて、何これ出産大丈夫かとちょっと心配になった。病院に着くと、救急の入口というより何かの倉庫かなと思うような大きな鉄の扉があって、そこから助産師さんが出てきて車椅子に乗せられ、コロナ禍だったから旦那さんは外で待つように言われ、せっかく来てくれたのにごめんよという気持ちでその場を後にする。「大丈夫ですからね」と車椅子を押してもらいながらも、これからどうなるのだろうと弱気になりうなだれていたら、前の方から助産師外来で何度かお世話になった佐々木さんが颯爽とやって来て、「自分で歩けるでしょ?」と怖い顔で隣を歩きながら診察室へ案内してくれる。佐々木さんと言えば、キラッキラに明るくて、いつもにこにこ「大丈夫よ!頑張ろうね!」と勇気をくれる、全妊婦の母的存在という印象だった。大病院だったこともあるのか、機械的に行われる妊婦健診は赤ちゃんの様子を見られるというのにちょっとつらくって、命の誕生という奇跡と喜びに携わる現場の人たちだけれどそれが毎日の業務となれば淡々となるものなんだなと、自分のイメージとのギャップに寂しくなっては助産師外来で佐々木さんに元気をもらっていた。コロナ禍で両親学級も取りやめになっていたから、少しでも助産師さんとお話して出産のイメージができる機会は貴重だった。佐々木さんと話している時だけは、出産への不安など吹き飛んでなんだか楽しみになってしまうのだからそのパワーたるやとてつもない。家族の立ち会いができないという状況は正直不安だったけれど、佐々木さんに立ち会ってもらえたら絶対大丈夫だと思えるほど、居るだけで安心感をくれる人だった。私にとってそんなぽかぽかとする存在だったからこそ初めて見せられたそのキリッとした鋭さにびくっとしたが、診察を受けながら冷静になってみると、私への「しっかり!」というメッセージだったんだろうなと思った。これから出産を迎えようとする母親に似つかわしくない、弱々しい表情だった私に「これから頑張るんでしょ?」と喝を入れてくれたのだ。出産は体力勝負。だけれどそもそも気力で負けてしまっていては乗り切れるわけがないということを思い出した私は、深呼吸をしてこれから臨む初めての出産に気持ちを整える。赤ちゃんも、完全破水しているものの問題ないとのことで、点滴を打ってもらいながらほっと胸をなで下ろす。通い慣れたこの病院で無事元気な赤ちゃんが産まれた暁には、忙しなく、だけれど幸せな夏を過ごすのだ!と意気込む私であったが、なんと、ここの病院は早期出産の対応を行っていないからすぐに転院しますという流れになって、まさかの展開にひぇぇーーーとなっている間に「一旦移動しますよ〜」と妊婦用の個室へ速やかに連れて行かれる。リクライニングが起こされた状態のベッドに落ち着き、なんだかすごい日になったなとようやく正気に戻る。予定日より1ヶ月以上早く、妊娠34週で破水して、知らない病院に直ちに転院。こんな状況を誰が想像しただろうか。実は3日前、そろそろお腹の膨らみがめきめき来るだろうから1週間毎にマタニティフォトを撮って並べて動画にして、成長と努力の記録を残していこうと、記念すべき1枚目を撮ったばかりだったのだ。人のことは言えないがなんというせっかちな赤ん坊よ…マタニティフォト企画はスタートしてすぐに終わりを迎えた。付き添ってくれていた助産師さんは「コロナ禍だからちょっとの時間だけど、ご主人呼んできますね」と、そういえば外に閉め出されたままの旦那さんを呼びに行ってくれる。あれから2時間近く経っているし暑い中大丈夫だっただろうかと心配しているとよれよれした旦那さんがやって来て、外に出されたまま大きな鉄の扉しかなくてさすがに不安だったとマスク越しに聞かされた時は放置してごめんしか出てこなかったが、もうすぐ会えるねと結局性別がわからないまま産まれてくる赤ちゃんを思いながらおしゃべりした。しばらくすると、私が知る明るい佐々木さんがやって来て「今転院の準備してるからね〜今日明日には産まれるのかなあ楽しみだね」と一緒にわくわくしてくれる。今日が7月29日だから、もし産まれたら私の誕生日と同じ肉の日だ!と2人で興奮し、予定日は9月上旬なのにそれにしても早いよねと、準備早すぎ前のめりな我が子に両親ぽさを感じて愛おしくなった。そしてきっと、出産が少しでも楽になればと母のために体を張って出てきてくれようとしているんじゃないか、そう思ったら、親想いすぎる我が子にありがとうしか出てこなくて泣けてきた。これは頑張らねばと気合いを入れ直し、準備が整ったということで救急車に乗り込んで転院先へと向かう。こんな穏やかな状態で救急車に揺られるとは思ってもみなかったから不思議な感覚だった。
さて病院に着くとすぐに診察をしてもらい、旦那さんも一緒に先生から今後の動きについて話を聞く。結論、赤ちゃんの体重が2,000g未満で出産には早いため、入院してもうちょっと大きくなってもらいましょうということだった。もちろん陣痛が来れば出産となるが子宮口は2cmしか開いていないし、赤ちゃんの状況から見てできれば37週くらいまでは時間を稼ぎたいというのが先生の考えで、お盆明けくらいまでの入院を言い渡された。羊水の量は全く問題ないもののしっかり破水しているから細菌感染には気を付けなければならないし、切迫早産は絶対安静が大切という話もされ、「そうですよね…」と、もうそうするしかないのにそうしたくない気持ちがどどーっと湧いてきて泣きそうになった。もう会えると思っていたのに会えないという寂しさよりも、家に帰れない、1人で過ごさなきゃいけないという孤独感がすさまじくて、今日からの3週間を想像して絶望した。コロナが拡がって制限がかかることに慣れつつあったけれど、家族に会えず1人個室で生活するという初めての事態に私だけでなく旦那さんも動揺したようだった。とは言え、幸運にもこの病院は出産の立ち会いが1名ならば可能で、叶わなかったはずの夫婦で臨む出産が叶うこととなり、これも神様の、いや我が子のはからいだなと心底有り難がる。お昼前には要注意妊婦が入院するMFICU (母体胎児集中治療室) へ入れることになったから旦那さんには入院の手続きをした後帰宅してもらい、羊水で汚してしまったベッドの後始末と、寝室に用意してある入院バッグを持って来てもらうようお願いする。直前で慌てるのを避けたくて、早すぎかな〜と思いながら7月頭にはバッグを準備していたのだが、結果的に早すぎる準備でちょうどよかった。旦那さんは私の身の回りの物がどこにどう片付けられているかを知らないから、準備していなかったら1こ1こ説明して、徹夜明けの疲労感の中抜かりなく詰めてもらわねばならなかった。とりあえずベッドに落ち着くと、お腹の張り止めの点滴をつけっぱなしにするということで従う。先生によれば、この点滴の副作用で最初のうちはちょっと動悸がしたり手足が震えたり不安感が増したりというのがあるかもしれないらしく、そもそも胃の圧迫感で息苦しい感じがするのに動悸だなんて怖すぎるし、前もって不安になることを予言されるなんてそれこそ不安すぎると思いながらもどうにか「は、はい…わかりました」と答える。看護師さんからは、私よりも重い症状の患者さんが来なければずっとこの個室に居られること、シャワーはできないが3日おきに洗面台で洗髪をして体は温かいタオルで綺麗にできること、消灯までは電話をしたりしても良いこと、部屋からは一歩も出てはいけないこと、との説明を受けた。トイレもこの部屋で済むようになっているなんて、本当に絶対安静なんだなと今更ながら自分の身に起きている状況を重く受け止める。部屋から出られないということは洗濯もできないから、下着類は洗面台のところで洗うとして、パジャマは旦那さんにお願いして新しいものと交換しながら乗り切るしかないし、飲み物もまとめて買って来てもらってなるべく病院に来てもらわなくてもいいようにせねばなと急に現実的なタスクを頭に巡らせる。せっかく準備していた入院バッグも1週間を乗り切れる物しか詰めていないから、結局クローゼットをひっくり返してもらいながら準備してもらうしかない。入院して大変なのは、仕事をして家事をして忙しく日常を送りながら心配もして、時間を見つけて足りない荷物を準備して病院に通ってとあくせく奮闘する家族の方なのだなと申し訳なくなりながら、これから必要になるだろう物を1こ1こ書き出す。お昼ご飯を配膳してもらい、そういえば朝4時から何も食べてなかったなと思い出したけれど、しーんとした病室に1人でいることの寂しさが込み上げてほとんど喉を通らず何もかもよぼよぼしていた。切迫流産で出産まで何ヶ月も入院する妊婦さんがいることを思えば3週間など大したことじゃないのだと思いつつ、それでもつらいものはつらいのだとまた落ち込んで、疲れたから眠った。夕方、旦那さんが持って来てくれた入院バッグを看護師さんから受け取り、着替えて荷物を整え、またほとんど手をつけなかった夕ご飯を下げてもらい寝る支度をする。外がだんだんと暗くなり夜が近付いてきた頃、異変が起きた。どっどっどっどっ…と動悸がし始め、不安感で胸がざわざわと鳴り出し、しまいには涙がぼろぼろと止まらなくなって布団をかぶった。とにかく怖い。1人が怖い。夜が怖い。旦那さんに涙が止まらないのだよ〜と電話して、声を聞いたら少し落ち着いて、でもやっぱりこわいから電気をつけたまま寝ることにしたら消灯で看護師さんがやってきて、「電気消しますか?」と言ってくれるも「ちょっと怖いのでつけたままにしてもいいですか」とやり取りし目をつむる。

入院2日目、朝目が覚めると窓から光が差し込み、眩しいのと泣きまくったのとで目が開きづらかったが昨日の不安感は消えていてどうにか体を起こす。と、手の震えを感じて左手を見ると微かに痙攣していて、これも副作用かなとため息をつく。朝ご飯の後先生がやって来て血液検査やエコーをしてくれたのだけれど、ほとんど食べていないのを見てつらいのかと聞かれたからはい…と答えると、薬剤師さんから薬の説明兼カウンセリングをしてもらうことになった。夜が怖くて涙が出ると話したら、大部分が張り止めの薬 (リトドリン注射薬) の副作用で、決して珍しいことではなく妊婦さんでその悩みを持つ人は多いらしい。今はつらいかもしれないが体は徐々に慣れていくから緩和されるだろうし、そういう副作用を抑える薬もあるから必要な時は言ってくださいということでちょっとホッとする。初めてのことで折れかけていたけれど、みんなそうなんだと思ったら大したことない気がして、入院2日目にしてようやく頑張るんだ…!と前向きな自分を取り戻した。そうとなれば、せっかく家事もせずにここに居られるのだからゆっくり我が子との対話を楽しもうと昼間はおしゃべりし続け、夕方以降は自宅で毎日聴いていたヒーリングミュージックを流した。夜、追加でお願いした荷物を旦那さんが持って来てくれたから看護師さん経由で受け取り、消灯後こっそり電話をしてまた明日と電話を切る。夜中、眠れずに天井を眺めていると日付が変わる頃にお腹が張り出し、羊水もたくさん出てきたから急いでナースコールを押した。断続的に続くお腹の張りを見て、もしかしたら陣痛の兆候かもしれないから分娩室に移動しますということでベッドごと移動する。部屋の外に出られた開放感を感じながら、ついに会えるかもしれないという緊張感も押し寄せ胸の辺りは忙しなかったが、とにかくゆったりとした深呼吸を続けメンタルを保つ。結局張りは徐々に弱まり子宮口も2cmのままだったから、朝方4時頃にはまた部屋に戻り休んだ。

入院3日目、夜のこともあったから今後の流れを先生や看護師さんと話し、陣痛が始まったことが確認できたら張り止めの点滴もやめてお産にしましょうということになった。まだ入院して3日だけれど体重も2,000gに乗り、今産まれても大丈夫な雰囲気が先生たちから伝わってきたから安心する。相変わらず羊水は出てきており量が減ってきているものの問題ないとのことで、たとえ全部なくなったとしても赤ちゃんは苦しくないという話を聞いてもう理解が追いつかないレベルの神秘性に驚く。3週間を待たずして産まれてきそうなにおいがぷんぷんしてきたから旦那さんにも状況を伝えて、いつでも家を飛び出せる準備をしてもらう。とは言え全て赤ちゃん次第だから、心の準備はしつつ焦らず待つぞと昼間はおしゃべりしながら編み物に専念した。出産までに完成させようと編んでいたおくるみが途中だったから、昨日旦那さんから持ってきてもらったのだ。
産まれてくる我が子を想いながらの編み物は楽しく、もともとこういう地道な作業が好きなタイプというのもあるけれど、編み方を教えてくれた友人が驚くほどのスピードでガンガン編み進められた。秋に産まれるからとあたたかめな毛糸を選んだのでもし真夏に産まれたらしばらくは使えないが、もう先が見えてきたぞ!というところまで来ていたから完成させたかった。と、ふと窓の外を見ると久しぶりにぴかぴかの青空が見え、セミの声も聞こえてきてもしやと天気予報を見ると、梅雨が明けたそうで快晴マークが並んでいた。この年の梅雨はすこぶる長く、じめじめ感は強く、誰もが夏よ早く来いと願っていたのではないだろうか。どんよりしていた世界が輝き出して、孤独な入院生活にも希望が持てた。

入院4日目、夏っぽいもくもくとした雲が並ぶ青空で、本当の夏到来に心が弾んだ。もう動悸も震えも不安感もなく食欲も少しずつ出てきたから、ただただ夏の雰囲気に浸り、3人で過ごす夏を想像してにんまりする。病室の窓からはリッチなマンションが見えるのだけれど、休日だからかバルコニーで良い時間を過ごすご夫婦が見えて、いいな〜満喫してるなあと心底うらやましがりながらも私たちだって楽しんでやるぜ!と燃えてきて、出産に向けて大きく深い呼吸を練習しながら股関節を柔らかくするヨガでイメトレをする。
私は妊娠初期の頃、古くからの友人のインスタでソフロロジー出産というものを知った。その友人の話によれば、ソフロロジーを知らなかった1人目の時は難産でそれはそれはつらい出産だったらしいのだが、2人目3人目はソフロロジーのおかげで信じられないほどの安産で、始まりから終わりまでとても幸せな時間に満ち笑顔でいられたと言う。私は小学生くらいの時には出産はしない!と母に宣言するほど出産に対して恐怖感がある子どもで、小さな穴から人間が出てくるのを想像するだけで気分が悪くなってしまうこともあった。奇跡的で素晴らしいことだと思うよりも前に、現実的な痛みや苦しさを考えぶるぶるしてしまう。だから、出産をどう乗り越えるかというのは目下の課題だったのだけれど、その友人の話を聞いて私に必要なものはこれだと直感した。ソフロロジー出産というのは「幸せなお産」と呼ばれるほど心地良くスムーズなお産ができるというもので、出産の考え方やあり方、そして呼吸法に特徴がある。ソフロロジーの根底にはそもそも「全てをあるがままに、前向きに受け入れる」というヨガや禅の考え方があり、陣痛を痛くて耐えるものだと捉えず、赤ちゃんに会うための幸せなエネルギーだと捉えることをベースにしているそう。出産をまさに痛みに耐えるものだと考えていた私は、この考え方、あり方に衝撃を受けた。と同時に、すごく好きだなと思った。何を信じるかで現実はいかようにでも変えられるということを人生経験として少なからず実感していたし、こういう捉え方ができればきっと感謝や喜びが勝って物理的にも精神的にも安らかなお産になるんじゃないかと思えたのだ。とは言っても現実的な話、やっぱり痛みつらみはあるだろうと思ってしまうが、ソフロロジーのあり方に添う理にかなった呼吸法で実際穏やかな出産になるというのだからすごい。ソフロロジーは、陣痛緩和のためにヒッヒッフーというリズミカルな呼吸を使うラマーズ法とは違って、お母さんの心身をリラックスさせ、なおかつ赤ちゃんに酸素をたくさん送る目的でゆっくり吐くことに集中する呼吸を使う。体の強張りがなくなって赤ちゃんに酸素がたくさん伝わると、子宮や産道がとても良い状態になり結果的にするりと産まれてくるそう。深い呼吸がそこまで素晴らしい効果をもたらすものなのかと思ってしまうが、確かに深呼吸が緊張感を和らげたり、体の強張りを取り除きリラックスした状態をつくるのに役立つことは実感としてある。力が入ってしまう場面でこそ力を抜くことに集中する。結局、リラックスしている時の心身の状態が1番自然でうまくいくものなのだと思う。だからソフロロジーでは陣痛の時もゆったりとした呼吸を心がけ、いよいよ産まれ出るクライマックスの時も赤ちゃんへ酸素を送るつもりでとにかくゆっくり大きく吐くことに専念するのが大切だという。お母さんが産み落とすと言うよりは、赤ちゃんが自分の力で産まれてくるお手伝いをするだけ。赤ちゃんが産まれて来やすいように道を広げてあげるだけ。にわかには信じ難いが、赤ちゃんは自分で外に出ようと決め、勇気を出して光ある方へ進んでいくらしいのだ。ちっこい生き物なのに、意思と勇気を持って頑張る姿を想像したら愛おしい。未知の世界だからどうなるかはわからないけれど、でもどんなに痛くてつらくても、「ありがとう、一緒に頑張ろう」と言える自分であろう。あたたかいお産を目指そう。心からそう思えた。
私はこのソフロロジーを知ってから呼吸法とヨガを毎朝続け、大きく吐くのと一緒に赤ちゃんがにゅ〜っと降りてくるイメージを繰り返した。全く怖くないと言ったら嘘になるけれど、出産に対する恐怖感は随分和らいだし、本番は静かで落ち着いた思いやりある出産をしようと目標もできた。正直妊娠期間は体の物理的なつらさにひーひーしていたがそのわりに気持ちは前向きにいられて、出産がより納得できるものになればと、ずっと聴き続けたヒーリングミュージックをCDに落とす準備もした。結局こういう展開になったから準備はできなかったのだけれど、病院側から音楽を流しますがどういうのがいいですか?と聞かれたから、オルゴールとかヒーリング系がいいですと希望を伝えた。兎にも角にも、未知の体験であるにもかかわらず明るいイメージを持てたのは間違いなくソフロロジーのおかげである。
さて、この日は3日ぶりの洗髪だったからか気持ちも晴れやかになり、待ち遠しかった夏もやって来てくれてなんだか良いことが舞い込んできそうな予感がすごいなと思いながら、こっちは準備整ってるからね!いつでもいいよ!と話しかける。私と旦那さんも結婚式を8月に選んだほど夏が大好きで、何はなくとも人を元気に陽気にしてくれるこの季節に魅力を感じているのだが、秋生まれの予定なのに真夏に爆誕しようとしている我が子は我々よりも夏好きお祭り好きかもしれないね…!と、夜の電話で旦那さんと話す。まあ、あとは本人に任せてのんびり待とうと電話を切り、ちょっぴり興奮した気持ちで天井を見つめていると、10分くらい経ったところで軽い生理痛のような痛みが来て、便意らしき感覚もしてきたからトイレに行く。特に何も出ず、少し経つと治まって通常運転に戻ったから、あっよかったよかったとほっとしてベッドに横になると、しばらくしてまたさっきの痛みと感覚がやって来ておろ…?となる。この前の夜に来たお腹の張りとは違って、懐かしき生理痛の感じ。ほんとになんだろう…と時計を見ると、夜中1時半。あれ?さっきの痛みが来た時は1時15分じゃなかったか…?なんかきっちり15分でやって来るな…そんなことを考えながら時計とにらめっこしていると、せっかく治まった痛みが少し強度を増して1時40分に来た。えっ短くなった…!しかもわりと強めな生理痛…!とは言え全然我慢できる痛みだったからもうちょっと様子を見てみようとじっとしていると、毎回きっちり10分間隔で痛くなることに気付き、2時10分の時点でひょっとして陣痛…?とようやく陣痛の可能性を怪しむ。はたからこの状況を見ていたら、いやそれどう考えても陣痛よ!ナースコール押しなさいよ!という段にはなっているが、先日分娩室にまで運んでもらいあれこれ出産の準備をしてもらったのに結局何も起きなかったから、きっかり間隔の痛みなんてそんなのもう陣痛じゃん!とわかってはいるのになんだか安易に呼べない気持ちが先行して押すのを渋らせた。2時半を過ぎる頃になると、いよいよ10分を切る間隔で痛くなってきたからさすがにもう陣痛確定よねとナースコールを押す。何時から痛かったのかと聞かれ、1時15分くらいからで今は8分間隔で痛みが来ていることを伝えると、「何かあったらすぐ押していいんですよ」と、不安な中頑張りましたねのニュアンスを含む子どもに話すような優しさで言葉をかけられ、少し恥ずかしくなりながら「あ…はい、すみません…」とうつむく。分娩室に移動しながら、今まさに出産のクライマックスを迎えているような「痛いー!」という叫び声が聞こえてきて、ひ…ひえーーーーとなりながらも頑張って…!とエールを送る。分娩室に着くと助産師の西成さんがあれこれ準備を進めてくれ、「頑張りましょうね」と不安な気持ちに寄り添ってくれる。本当にいよいよ、ここでお産するんだ…!と思うと緊張したけれど、小さくオルゴールが鳴っていたから深呼吸する。しばらくして颯爽と来た先生2人が内診をしてくれ「普通分娩でいきましょう」と私を見て告げる。3時半過ぎになると陣痛の陣痛さが体に染みてきたから横向きになり、「ゆっくり息を吐いてくださいね〜ふう〜」と西成さんのサポートを受けながら波に向き合う。たぶんここからまだまだかかるけど旦那さんに連絡を入れて準備をしておいてもらいましょうということになったので、枕元に置いてある携帯で電話して今の状況と、家を出るタイミングは言うからそれまでは待機ねと伝える。私はそこから深呼吸と、貸してもらったテニスボールを使っていきみ逃しにひたすら取り組み、旦那さんとのLINEでは「リラックスね!」「ありがとう言いながら頑張ってるよ」「休日を選んで来てくれていい子すぎる」とやり取りしながら、陣痛の波を受け止める。4時半、子宮口3cmになり頭も下がってきたということで張り止めの点滴を外してもらう。「来る時に飲みものをーーー水とソルティライチーーー」とLINEして、「まだ家出なくて大丈夫かな!?」と心配する旦那さんに、「上手くいけばギリギリ午前中に産まれるかなーって感じみたいだよ!」と伝える。家からタクシーで30分くらいだから本当にいよいよというタイミングで呼んでも十分間に合うだろう。5時半、陣痛が増し増しになってきて体力の消耗がごりっごりになった頃、そろそろ呼んだ方が良いかもしれないということで旦那さんに伝えると、コロナ禍だから入室までいろんな門をくぐってマスクやら消毒やら万全にした旦那さんが6時半頃来てくれた。もうその頃はいきまないなんて無理かもですー!くらいの高波が来ていたから、ただただボールを握りしめ縮こまって、手を握り声をかけてくれる旦那さんにうなずくことしかできなかったけれど、深呼吸深呼吸と言い聞かせ自分をなんとか保つ。頼んだ飲み物以外にもいろいろ用意してくれていて、陣痛の波に合わせて順番に飲ませてもらうと思いのほかパワーが出てきてこれぞ命の水だと心底有り難がる。中でもぐんぐんグルトの勢いは群を抜いていて、内側からみなぎってくる感がすごい。きっと大丈夫だと気持ちを入れ直せるくらいには元気になってきてどんと陣痛を受け止める。ただ、間隔もいよいよ3〜4分くらいになってきた頃、先生や助産師さんたちが「お母さんも赤ちゃんも高熱ですね…41℃…赤ちゃん苦しそうです。帝王切開にしますか?」とざわざわし出し、自分に熱があったことに驚いたと同時に赤ちゃん大丈夫かと心配になって先生たちを見つめる。「お母さん、赤ちゃんの熱が高いので帝王切開になるかもしれません」と言われ、私的には状況次第でよしなにお願いしますという気持ちしかなかったから「大丈夫です」と答え、とにかく呼吸に集中して頑張る。ぐんぐん飲むからあっという間にぐんぐんグルトが底を尽き、旦那さんがもう1本買ってきてくれる間に何やら点滴をされたがもう針の痛みすらわからないくらいに陣痛が容赦ない。そうこうしていると分娩室に先生2人、助産師の西成さんとおそらくベテラン助産師の山下さん、合わせて4人が集結していていよいよかと思っていると子宮口全開になったから「このまま普通分娩でいきましょう」と仰向けになり準備する。リクライニングを起こし、足をしっかり開いて布を掛けられ、足元には先生と山下さん、体の右側には西成さん、左側には旦那さんという態勢で整う。その時にはもう体感として陣痛の間隔1分くらいだったからほぼ休憩ができない状態で、内心うぎょーーーーとなっていたのだけれど、赤ちゃんが私に会いたいと叫ぶエネルギーなんだと言い聞かせなんとか平気そうな顔をつくって向き合った。波が来るタイミングで息を吐きながらいきむように言われたので、もう我慢しなくていいんだとちょっと解放された気持ちになってベッドの柵を握りふうううううーーーーーーと踏ん張る。なんかもう感覚としてはうんちが出てしまっているような感じだったから、えっちょっ…大丈夫ですかほんとにと結構本気で心配になりながらも言われた通りに続けた。何度か繰り返していると先生が「ちょっと会陰切開しますね」と、実は1番怖かったあの会陰切開をすると言うからひっ…!となるも、パチンと音が聞こえただけであっけなく終わる。麻酔のすごさに感動しているとまた波がやって来てふうううううーーーーーーと踏ん張った。休憩になると西成さんが「ゆっくり呼吸して休みましょう」と優しく応援してくれて、こんな状況だけれど気持ちが落ち着いた。この繰り返しが板に付いてきた頃、「髪の毛がもう見えてますよ〜!触ってみますか?」と思わぬ質問をされ「えっっ…!」と困惑していると、「なでなでしたいっていうお母さんも多いんですよ」とにっこりされる。確かにこの瞬間しか許されない貴重な体験だよなと納得するのだが、お股の状態をリアルに想像しちゃったらたぶん失神すると思い、「あ…いえ大丈夫です」と小さく答える。なにしろ私は血が苦手な人間だ。採血で倒れたり気持ち悪くなったりしたこともあるからここは慎重にいかねばならない。浮かびかけた雑念をとっぱらってあくまで呼吸に集中しようと目をつむる。そろそろクライマックスという段でお尻をぐっと上に向けるような体勢になり、先生たちに両足裏をぐっと支えてもらう形を取る。「波が来そうになったら教えてください。そしたら息を大きく吐きながら両足を踏ん張ってくださいね」と言われ、波に意識を注いでいると20秒くらいで来たから「来ます」と息を大きく吸うと、「はいっ踏ん張って!もっと踏ん張って!」と足をぐっぐっと押される。私は先生たちが支えてくれる手に全エネルギーを流すつもりでぶふうううううううううーーーーーーと息を吐き切る。本当にもう、全部全部吐き切った。正直へろへろになって来ていて赤ちゃんの手助けができているのかわからなかったけれど、山下さんや西成さんが「上手ですよ〜」と声をかけてくれたから気持ちはなんとか繋いだ。一瞬の休憩を経てまた渾身のぶふうううううううううーーーーーーを繰り出し、先生たちも「はい踏ん張って!ぐっぐっ!」と力強く押してくれて、西成さんの「はい休憩ですよ〜」で、はあーーーと落ち着く。次の波を待っていると、「赤ちゃん頑張ってますよ〜もう頭が出て来てますからね」と励まされ、えっもう出て来てるの!?と驚きつつ確かに何か挟まっているような感覚があるなと様子を伺っていると、ぐわあーっと巨大な波が来る。ぶふうううううううううーーーーーーと「はいぐっぐっ!もっと!」が轟きまくり各々が全てを込め切ると、まもなく泣き声が聞こえた。「産まれましたよ〜!」という言葉と同時に浮かんだのは、「えっもう産まれたの?」という気持ちで、実際「えっもう産まれたんですか?」とすっとんきょうな声が出る。なにしろ私は、頭が出たら次は肩が出てくる段だと、出産のクライマックスは2段階あると思い込んでいたのだ。よしもう一踏ん張りだと覚悟を決めた矢先の産まれましたよ〜だったから、本当にえっっ…!?という気持ちだった。状況をようやく飲み込み、あっ無事終わったんだと思ったら肩の力が抜け、やり切ったことの嬉しさがじゅわーっと広がって、「お疲れさま」と涙ぐむ旦那さんの方を見て笑った。もうなんか、胸がいっぱいだった。
しばらくすると、産まれたての小さな小さな赤ちゃんを抱いて助産師さんがやって来て、「おめでとうございます」と言ってくれる。性別がわからぬままのお産だったから咄嗟に「どっちですか?」と聞くと、「女の子です」と言われ「女の子!小さい…かわいい…」と、助産師さんの両手の上でうつ伏せになりきゅっと目をつむるほよほよの我が子を見つめる。健診では男の子かなあ…?と先生と話していたからちょっと驚いたけれど、無事にかわいいかわいい我が子が誕生してくれて嬉しい。小さく産まれたものの、その存在感は圧倒的で、両親の心を容赦なく震わせた。
すぐ保育器に入らねばならない我が子を送り出し、さてこちらは胎盤の娩出ですという流れになるが、どうやら私の胎盤はびたびたにくっついていて剥がれないという状況であった。これはちょっと痛い方法で取り出さなきゃいけないからお母さんには眠っておいてもらいましょうという話にまとまり、想像したらこれも失神ものだなと考えないようにして、注射を打たれた私はそのまま眠りにつく。目が覚めると、大きな窓から青空が見え、何もかもが綺麗に整えられた分娩室のベッドに横になっていた。旦那さんと、立ち会ってくれた山下さんが起きるのを待ってくれていて、労いの言葉をかけてくれる。体を動かすと、全身、特に腹筋と肋骨がめちゃめちゃに痛くて、本当にお産を終えたことを実感する。出産後は交通事故レベルのダメージを受けていると聞いたことがあるけれど、交通事故に遭ったことはないが確かに首から下がもう本当にすさまじくけちょんけちょんだ。ぺたんこになったお腹をなで、そういえば帝王切開になるかもしれなかったんだよな…小さいのに頑張ってくれたなあ、ありがとう我が子よと回想する。この部屋はしばらく居て大丈夫だから、ひとまず出来そうであれば奥のトイレで排尿をということになり、そういえばずっとトイレに行ってない!尿意すごい!ということで、よぼよぼしながら行く。が、出そうとするのに出ない。ちっとも出ない。出したいのに出せないよーなんでーと山下さんに嘆くと珍しいことじゃないから大丈夫!排尿を手伝うからベッドに座って足を広げてねと言われ言う通りにする。バケツと、何やら管のようなものをあてがわれ、お産で全てをオープンにはしたものの通常時でこれはやっぱり恥ずかしいなと内心あわあわするが、あっという間に尿意が消えて感謝する。この際聞いてしまえと、「山下さん、あの、私最後、うんちって出てませんでしたか…?」と、あの時から気になっていたことを思い切って聞いてみると、「出てないよ」とにっこりされ、「すごい出ちゃってる感覚だったから、良かった〜」と心底安心した。山下さんからは、とにかく静かでいいお産だったと、お母さんがそもそも痛みにすごく強い人だったから笑顔でお産できててびっくりしたよと言われ、つらそうな顔をしないって決めてはいたけれど笑顔だったのか私…!と嬉しくなる。じゃあしばらくゆっくりしてねと出て行った後、旦那さんも「本当にすごかったね」と立ち会った時の想いを話してくれ、とにかく陣痛が来たタイミングがすごすぎたよねと盛り上がる。
そういえばと母子手帳をめくると、7時間16分の分娩を経て、午前9時3分に2,127gの女の子誕生との記録があり、ギリギリ午前中と言われていたけれど早かったんだなと、改めて安産だったことを感謝する。山下さんの言葉じゃないが本当に、いいお産だったなと思う。もちろん陣痛は痛かった。痛みに強いと自覚ある自分ですら結構じたばただった。けれども、言葉を選ばずに言えば、楽しかったというのが私の素直な気持ちだなと思う。後日山下さんから聞くことになるのだけれど、お産は最初からメンバーが組まれているわけではなくたまたまあのメンバーでの立ち会いとなったらしいのだが、先生たち助産師さんたち本当にチーム感がすごくって、もちろん自分も赤ちゃんも旦那さんもその一員で、みんなで何かに向かって頑張れたことがものすごく楽しかった。それぞれが頑張れ頑張れと応援し合い、明るくて前向きな雰囲気がずーっとあったし、担当の先生は華奢な美人先生といういでたちだったけれど、声を張り上げ鼓舞してくれて、足を支える手はバッキバキに力強くてお産1つ1つに懸ける思いが伝わってきた。山下さんは、お産がただ狂乱して痛かったという思い出にならないといいなって思いながら仕事してると話してくれた通り、終始穏やかに、大きく呼吸してとずっと背中を押してくれ、本当は8時で交代予定だった西成さんも、最後まで肩をトントンしながらゆっくり吐きましょう〜と見守ってくれた。ソフロロジーを大切にお産したいという私の思いにぴったりすぎる助産師さんが立ち会ってくれたことは本当にラッキーだったし、感謝しかないなと思う。もちろん、内心そわそわあわあわしながらも夜を徹して立ち会ってくれ、私が集中できるようにとちっちゃく応援してくれた旦那さんにも感謝しかない。どう対応していいかわからない状況で言われるままにぐんぐんグルトを買いに走ってくれたから、我が子は本当にぐんぐん進みするりと産まれた。まだ豆粒のようだった頃、心拍が確認できず流産かもしれないと言われたあの、まだ頼りなかった我が子が、立派に自分で爆誕した。もりもりすぎる思いやりを持って。
あまりに早い破水は、もう産まれたい!という強い意思と、母のお産を少しでもラクにしてあげたいという思いやり。そこからの入院生活は、もっと話しかけてほしい、お腹にいる時間をもう少し楽しみたいという願いと、母への頑張りすぎないで体休めてねという思いやり。深夜のお腹の張りは、両親の電話の会話を聞いたら嬉しくなっちゃって、まだ勇気が出ないけどやっぱり産まれたいよー!という思いの表れ、個室から母を少しでも出してあげたいという思いやり。結局わからなかった性別は、びっくりする2人の顔が見たい、2人はわくわく面白いのがお好きでしょ?という思いやり。ソフロロジーに出会い、全て自然なこととして受け入れるというあり方に救われ、娘は爆誕する前からたくさんの思いやりをくれて、私は救われた。出産が怖くて血も苦手で、そんな自分がいざ出産を迎えたら死ぬんじゃないだろうかと思っていたあの頃が嘘のように思えてなんだか笑えた。「ほんとさ、ぐんぐんグルトで産まれたよねそうちゃんは」と笑っていると、「お昼ですよ〜」とお昼ご飯が配膳され、エネルギー切れの体に大好きな牛丼がじゃんじゃん流れ込んでいく。あの日、あの場所で頬張った牛丼の味は絶対に忘れないと思う。ありがとう牛丼。ありがとうぐんぐんグルト。

私と旦那さんの共通点である音楽。そして世界と人と仲良く、ハーモニーを奏でられるような人に育ちますようにと願いを込めて、娘には奏 (そう) と名付けた。

出産を控える妊婦

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

Please share !
  • URLをコピーしました!
もくじ