ソフロロジーというあり方、考え方に救われ、優しさと強さを兼ね備えた親想いすぎる娘に救われ、私の出産は安産だった。慌ててしまうような状況になったりはしたけれど、それこそ十何時間という出産を経験しているお母さんに比べたらものすごくすいすい進んだし、産まれ出た後もわりとぴんぴんしていてよっしゃ!子育て頑張るぞ!という気持ちももりもりしていたと思う。だが、だがだが、現実は甘くなかった。かわいい我が子のことを想えばそんなもの…!という気合いを持ってしてもねじ伏せられないつらさにおんおんすることも少なくなかったし、出産の大変さとは比較にならない大変さを感じて気付いたら放心してるなんてことも多かった。年子で2人3人と育てているお母さんが世の中にはたくさんいるけれど、私には到底理解の及ばない次元すぎてもはやパキスタン語でも聞かされているような気持ちになるのだから、私の母ちゃんレベルはしょぼしょぼだ。当然これから出産を迎えようとするお母さん方に胸を張って言えることなど何一つないが、少しでも想像と現実の幅が縮まったらいいなという思いでまとめてみた。
産後 これがつらかったシリーズ
搾乳フェス状態の1ヶ月
産後2日経った夜中、私のおっぱいはぐんと大きくなりぱんぱんに張り出した。もともと小ぶりなものでそもそもちゃんと膨らむのかどうかがずっと心配だったけれど、パジャマのボタンがぱつんぱつんになるほどせり出してきて安心する。見慣れなさに恥ずかしい気持ち半分、初めての大きさに嬉しい気持ち半分で陽気になっていたのも束の間、みるみる痛みが押し寄せてきてえっちょっとほんとに!?と1人慌てる。おっぱいをぎゅうううううっと握りつぶされているように内側からジンジンと痺れて痛い。バンッ!と風船みたいに弾けるんじゃないかと思うほど中からの圧がすごいから、肩を丸めてじっと耐えるのが精一杯だ。助産師さんの話によれば張るのはちゃんと母乳がつくられているからで、ただその母乳を外に出す乳頭の穴が開いてくれないと行き場がないからどんどん硬くなって痛むのだそう。製造と提供のバランスは母乳界でも大切らしい。私のおっぱいはというと幸いちゃんと開通はしていて全く出ないわけではなかったが、穴が少なくてほとんど搾れず、でも母乳はどんどんつくられるからもうガチガチ状態だった。乳管開通マッサージを教えてもらって挑戦してみたけれど、痛すぎて手が躊躇してしまい上手くいかなかったから、助産師さんにおっぱいを突き出してひいいいいいーと震えながら揉んでもらった。授乳で飲んでもらえば楽になるとのことだが、小さく産まれた娘はNICUにいるからそれは叶わず、搾った母乳をシリンジに取って届けてもらうというのが私の授乳スタイルだった。3時間おきの搾乳が始まって3日くらい経つと、最初0.1mlしか取れなかった母乳も30mlくらいは取れるようになって、はち切れそうな痛みも多少は和らぎやったやったと助産師さんと喜ぶ。こんなに目に見える努力の結晶もなかなかないなと感じ入り、疲労感はあるもののよしじゃんじゃん搾ろうという気力が湧いてくる。全てはかわいい娘のためなのだ。が、左手に紙コップ、右手におっぱいという格好で1時間ぶっ通しの搾乳は想像以上に体に堪え、なかなか出が良くない時は2時間も搾乳していて、ほとんど夜通し搾乳する日も珍しくなかったからだんだんずたぼろ化していった。自動式、手動式の搾乳機も試してみてこれはラクチンだぞとようやく光が見えたかに思えたけれど、上手い具合いにフィットしないのか乳頭が赤く浮腫み始め、結局手で搾るのが1番量が取れるということで泣く泣くあきらめた。
その後1週間で無事退院した私は、まだまだ入院生活が続く娘のために搾乳を続けるのだけれど、3本の指を動かし続けた右腕はぱんぱんになり、母乳をしっかりキャッチしようと前屈みをキープし続けた上半身は首も肩も腰もガッチガチになった。それより何より、ぎゅっぎゅと揉まれ続けたおっぱいは乳頭がさらに赤く腫れ上がり梅干しみたいになっていて、ねぇこれ乳首取れちゃうんじゃない!?くらいの雰囲気を醸し出していたから旦那さんとちょっと切なく笑った。痛いし夜中は孤独だしということで、スマホでドラマを観ながらの搾乳を試みてみるとこれが結構合っていて、眠くもなりづらいしいいじゃんいいじゃん!とはしゃぐも、今度はドラマに集中しすぎて紙コップを倒してしまい、1時間半搾った母乳をぶちまけるという惨事が起きてひーんと泣いた。努力が水の泡になる状況をこんなにわかりやすく見せてくれることって他にないんじゃないだろうか。ただおっぱいを搾るという単純作業なのだけれど、思いのほかいろんなつらさと向き合った1ヶ月だった。

夜泣きで満身創痍
赤ちゃんを育てる大変さと言えば夜泣きよねと思い、実際どんなものなのかと先輩ママさんの赤裸々ブログを読んでは驚き入り、尊敬し、長い場合だと半年やそれ以上もかかることを知って呆然とした。まあとは言え、私は普段は平均6〜7時間睡眠だけれど、3〜4時間睡眠が続いても結構平気で過ごせるショートスリーパー体質だから大丈夫だろうと、なんとかなるなる!くらいの軽い気持ちでいた。が、早々に自分の考えの浅はかさを痛感することになる。
娘が退院して3日目、いい大人2人のリサーチ力と知恵を振り絞っても朝まで解決できない夜泣きを経験し、あまりのにっちもさっちもいかなさに愕然とした。小さな生命の叫びはこれでもかと我々の全てを大きく揺さぶり、たった1日の夜泣きで1ヶ月寝ずに走り続けたんじゃないかレベルの疲労感が全身をどどどーっと駆け巡った。「え…これ無理じゃない…?」と、朝の陽射しをカーテン越しに受けながら大人2人はぼろぼろと泣いた。それでも頑張っていこうと、声をかけ合うことすらできないくらいによれよれとして、ソファで2人そのままのびた。愛する者の一切拒否は、睡眠不足などというシンプルな表現ではとても片付けられないほどの威力を持ち、眠い、ミルク、眠い、ミルク…しか頭を巡らない重い体を昼も夜もずるずると引きずりながらなんとか生きた。生かさなければならない立場にいながら、生きることに精一杯だったあの時期。結局、ジーナ式というねんトレに出会い我が家はほどなくしてみんな元気を取り戻したが、自分の強みだと思っていたショートスリーパー体質も夜泣きを前には小枝レベルだということに気付かされ、1人静かに目を伏せた。

吐き戻しパラダイス
娘は妊娠34週の時に誕生したのだけれど、小さく生まれたことが関係しているのか吐き戻しがそれはそれは見事だった。生まれたての頃は特に立派で、飲んだミルクの半分は出たんじゃないかと思うほど、口から滝のようにリバースした。一度体の中に入ったものがズズズと逆流して口から大量放出されるというのは大人でもつらいものだから、娘を見ていてかわいそうな気持ちになるも、おしっこと同じで自然な放出なのかむしろスッキリした表情だったから安心する。とは言え、ミルクを飲んだ直後だけじゃなく1日中だらだら〜と吐き戻すので、ミルク量を調整したりゲップをしっかり出せるように練習したりと対策に余念がなかった。ゲップが上手くいくようになると吐き戻しの頻度は確かに低くなったものの、相変わらず量は出るし、スタイの上にさらにガーゼやハンドタオルをつけておかないと着替えが増えて増えて仕方がない。ミルクで濡れたままにしておけばあごや首がかぶれてくるから替えもたくさん必要だ。抱っこ紐で出かける時がこれまた大変で、ぎゅっと圧迫されるからかピュインッとマーライオンのような吐き戻しをする。当然母の洋服があちゃ〜ということになるから、鎖骨から胸の辺りまでハンドタオルでしっかり覆っておくというのが我が家のお出かけスタイルだったのだが、よいしょと抱っこ紐をすると同時に吐き戻しをされ、母の着替え待ちをしてもらったことも少なくない。電車に乗る時は特に注意が必要で、他の人にかかったりしては大変だから、ちゃんと赤ちゃんいます?と心配になるくらいタオルで囲い、タオル畑からひょこっと顔を出す娘を見て「あら…!」と驚かれることもあった。ベビーカーを上手く乗りこなせるセンスがなかったものだから、約半年はいつ来るともわからない吐き戻しにひやひやしっぱなしで、オムツ以上にタオルが必需品な我が家だった。写真を見返してみると、かわいいスタイ姿の娘よりも、白いガーゼやタオルを巻く娘の写真が多くて、あの頃吐き戻しに奮闘していたのだなと懐かしくなった。
尿漏れ子さん
出産をするまでは悩んだこともなかった尿漏れに、1年以上悩まされた。あっトイレ行こ…!と、トイレへ向かう途中でじゅわっと出てしまう。ぎゅっと膣をしめても実際は全然しめられていないみたいで、えっえっ!?と焦っているうちにじわじわと広がっていく。私の尿漏れは失禁と呼ぶほどのレベル感ではなかったけれど、おりものシートでは事足りず生理用ナプキンで過ごすことも度々だった。基本的に、一旦出ようとしたおしっこを自分の力で止めることが難しいから、あまり飲まないようにしたり、膀胱にたくさん溜まる前にトイレに行くようにしたりして大惨事が起きないよう努めた。とは言っても、事前の努力でなんとかならない場合もあって、くしゃみや咳、ツボが浅いがゆえの突発的な爆笑には抗えず、それでも最少に抑えなければならないからくっと力を入れ呼吸も止めじっとする。はたから見たら、突然動かなくなった目が本気の女という感じでさぞかしこわいものだったに違いない。骨盤底筋の緩みが原因だろうと踏んでいたから、膣と肛門をしめ10秒キープ→力を抜く というトレーニングを日常的に行い、それが効いたのか単純に時間の経過でなのかはわからないけれど、徐々に漏れる頻度と量が減って尿漏れ子さんを卒業した。家にいる時はそれでもリラックスして過ごせたけれど、外出時は私自身公衆トイレが苦手なこともあって常に緊張して過ごしていたものだから、結構パワーを使ったし、長時間のお出かけはやっぱり億劫だったなと思う。
頼れない×完璧主義 で完全自滅
娘が生後半年の頃、東京から地方へ引っ越したのだけれど、ほどなくして原因不明の体調不良に見舞われた。最初、夜にマックを食べた後動けないほどの吐き気に襲われ、大きなクッションに身を預けぐでんとした。旦那さんに心配されながら、夜にマックは刺激が強かったかなと反省しそのまま休んでいると吐き気は随分良くなって安心する。それからしばらくは普通に過ごし、義両親と一緒にみんなで焼肉屋に行った時、よしこれから後半戦だ!と意気込んだ辺りで吐き気をもよおし慌てておしぼりを口にあてる。せっかくの楽しい場を壊したくなくて必死に吐き気と闘い、幸いすぐ治まってくれたからほっとするもこの前と同じ吐き気だなとやや不審に思う。もしかしたら脂ものに弱くなったのかもしれないととりあえず納得して家に帰り、「ちょっと食事気をつける…」と旦那さんに話す。もう何も起きないでくれ〜と祈るも、数日後、何も食べていないのに朝から気持ち悪くて、あの吐きそうなほどの吐き気よりはマシだがちょっと横になっていないと無理…みたいな状況になって、在宅ワークの旦那さんが娘を見てくれる。「うぅぅ…」とのび切ったまま何も出来ず、今回は一体何が原因だろうと頭を巡らすもちっとも答えが見つからず、吐き気も治らないからちょっと病院に行こうということで消化器内科を受診するため3人でタクシーに乗り込む。先生には「何か心当たりはありますか」と聞かれたから、「今回は特に心当たりがないんですが実は…」と、以前2回ほど吐き気に襲われたことと、脂ものが悪かったのではないかという見解を話す。今回は食事が良くなかったということではないからなんとも断言は出来ないけれど、ひとまずつらいと思うので吐き気に効く点滴を打って少し休みましょうと休ませてもらう。多少は良くなったような気がしたものの効いたという感じはなく、本当に謎や…と処方箋をもらって帰宅する。
それからは、急に良くなったり気持ち悪くなったりを繰り返し、ある日、とうとう娘のオムツ替えをしようとオムツを開いた瞬間「うっっ…」と吐き気が来て、うんちオムツの真横で盛大に吐いてしまった。母が「おえぇぇ…」とうずくまっているので娘もただならぬ雰囲気を察し大丈夫かと視線を送ってくれるが、とめどなく出てくるのを受け止めるだけで精一杯だった。吐き切るとある程度スッキリして、うんちまみれのお尻を出し足をぴょこぴょこさせる娘と、口周りを汚したゴミ箱を抱える母の図が笑えて「ごめんごめん」とオムツ替えを終わらせ、さてお昼ご飯を作ろうとキッチンに立つと、食材の匂いでまた気持ち悪くなってげーげーし、音で気付いたのか旦那さんも大丈夫!?と駆けつけてくれる。吐き気はつらいが吐くと楽になるし大丈夫と話すが、もう一度病院に行ってみようとよぼよぼの体を引きずりまた消化器内科へと向かう。前回もそうだったがめちゃめちゃ気持ちに寄り添ってくれる優しい先生だから、「つらいですよね…何が原因ですかねえ」と親身になってくれるも、「うーん…急に悪くなったり良くなったり、良い日はお腹も空くし食欲も普通にあって…」と、自分でも全然わかりません状態を説明する。この日は血液検査の後また点滴と処方箋をもらって、吐きまくったから喉が渇きコンビニに行こうと立ち寄ると、パンコーナーを見た瞬間恐ろしい吐き気が来てダッシュで外に飛び出ししゃがみ込んで袋に吐く。持ってて良かった…とほっとしながら、状況はどんどん悪くなっている気がして心臓がバクバクする。こんな状態だとさすがに外出しづらくなって、病院以外は引きこもり、どうしても食事の用意ができない時は家事代行サービスを使ってなんとか凌いだ。後日、検査結果を聞きに行くと、肝臓の数値だけぎゅいんと高くて、でも原因は突き止められないから肝臓専門の先生を紹介してもらい、さまざまな検査を受けた。が、結論、その病院でも原因はわからず、今度は大病院を紹介してもらうことになり、これは大変なことになったぞ…私の体に何が起きてるんだ…と動揺しながら受診する。その病院では胃カメラもしてもらったのだけれど、どこもかしこも綺麗で異常なし。やっぱり肝臓の数値以外はいたって正常ということで、いよいよ手術で組織を取って調べますかという段になったが、小さい子どもがいて入院はできないのでしばらく経過観察ということにさせてもらう。たらい回しになっている間も状況は変わらず、吐き気と嘔吐と闘いながら過ごしていたのだけれど、肝臓の不調とわかってからもしかしてといろいろ調べてくれた旦那さんが、ストレスという名のイライラ、怒りの感情が関係しているのではないかと話してくれた。負の感情が内臓を壊すなど自分の感覚ではにわかに信じ難かったのだが、私もさまざま調べ本を読み、ここ数ヶ月の精神面を思い返すと、これは堅い…と結論が出て驚愕する。初めての育児と新天地での慣れない暮らし、愛犬の死などいろんなことがとにかく重なって心が忙しなかったということもあるけれど、何より「私だけがものすごく頑張ってる」という気持ちが孤軍奮闘感に拍車をかけ、それが長期的なストレスとなったのではないかと気付く。
確かに、思えばいつも心のどこかでイライラしていた。なんで私ばっかり…と不満にまみれ、じゃあたまに手を抜けばいいのにそれもできず自分で自分の首を絞め、頼れない自分よりも頼りやすくしてくれない周りに問題があるのだと自分勝手な持論を引っ提げて生きていた。ストレスをつくり出しどんどん大きくしていたのは自分なのだ。本当は自分が原因だったのだ。頑張り方も、心のあり方も、何もかも間違っていたことに気付いた。
その後、1年半の月日をかけて私の肝臓は少しずつ回復していった。病院には数ヶ月おきに血液検査を受けに行ったけれど特に何かを処方してもらったわけではない。ポンコツすぎる自分を認め、人生の考え方やあり方、人は助け合って生きることを体感として学び、自分を変える勇気を持てたのが治癒に繋がったのだと思う。大ピンチよ、良い経験をありがとう。でもやっぱりあれはつらかったなあ。

