我が家の住人はみんなルーティン好きだ。
各々仕事や幼稚園があるから月〜金は完全なルーティンワークをこなしているのだが、土日祝日もほぼ変わらず6時前から起き出してしゃんしゃん活動し、娘は18時半に寝、大人たちは23時に寝る。普段のお勤めが遊びやお出かけに代わるだけでその他のルーティンは休日でもしっかり受け継がれており、特に朝と夜のルーティンは旅行の時以外は崩れず屈強だ。日常の変わらなさがやっぱり落ち着くし、これがみんなで決めてそうなっているわけじゃないのだからルーティン好きの真骨頂と言えよう。各々の血肉にルーティン精神が脈々と流れているようだ。ルーティンに1番従順でかつ意欲的なのは4歳の娘なのだけれど、その熱心さには親譲り以上のものをビシバシ感じる。
娘は朝起きてリビングの床に落ち着くと、トイレやコンタクトの装着を終わらせ戻ってくる私をごろごろと遊びながら待ち、さてサプリを飲もうかとキッチンに立ち出す私の足元にやって来てにまにまと今日のおやつ選びを始める。流し台の1番下の引き出しが娘のお菓子コーナーなのだが、自分で選んで取り出せるようにとよちよち歩きの頃からずっとこの場所だ。アニメやドラマで観ると、お菓子は子どもの手が届かないような高い場所に片付けている印象だけれど、あえて低い場所に設置しているのには理由がある。食に果敢に生きる娘にせめて「心の拠り所を」という思いだ。
小さな子どもというのは、危険なこともあるから当たり前ではあるのだが、飲むのにも食べるのにも親の許可がいる。今お茶飲んでいい?今おやつ食べていい?これ食べていい?全部食べていい?と、いつ何をどのくらいみたいな確認作業に1日中せっせと忙しくしている。もちろんそれによって、自分たちがまだまだ知らない世界があるのだという危機意識と、人の気持ちや状況は刻一刻と変わり、自分の希望が通る時もあれば通らぬ時もあるのだという受け入れ力が自然に身に付くのだから大切なやり取りではある。こちらも24時間張り付いて見守ることができない分、子ども自ら勇んで確認しに来てくれるのはまことに有難いし、親がラクになった子どもの成長ランキングがあったらたぶんトップ3には入ると思う。
とはいえ、やっとこさ許可が下りたと喜んでも冷蔵庫の上の方に並べてあれば物理的に届かないということもあって、手足が自由になっても本当の意味での自由は未だ手に入らず、取って〜とそこでも不自由さを感じもんもんとした日々を送っているのではなかろうか。特に娘の場合は類まれに見る食欲の塊であるから、苦悩のレベルが桁外れなのではないかと勝手に思っている。ストレスはなるべく抱えない方が身のためだ。だからこそおやつだけは娘のテリトリーだと、いつでも手が届くという幸せを親心ながらにおすそわけしたのだった。最初は知らない間にこっそり食べてしまうのではないかとややハラハラもしたが、娘は人一倍秩序を重んじるタイプだからかそれは今まで一度もない。彼女の中の道徳がそれは許さないらしい。
そんなわけだから娘は好きなだけおやつの顔ぶれを眺め、己の気持ちに忠実に選び取り (量はこちらで采配するが)、キッチンのカウンターに丁寧に準備する。平日・休日限らず1番の楽しみであり、3度の飯と等しく生き甲斐だ。朝、カウンターにそっとお菓子が置いてあるのを見ると今日も娘は元気なのだなと嬉しくなる。
そうして始まる娘の1日はその後着替え、朝ごはんと進んでいくのだが、我が子ながら感心してしまうのが母のルーティンまでしっかり把握し、それに合わせて自分のルーティンを変えていける軽やかな適応力があるところだ。もともと娘のルーティンは、おやつ選び→着替え→平日なら幼稚園の荷物準備→自由時間→朝ごはん→歯磨き&髪セットくらいのものだったのだけれど、いつの間にか母のサポートというルーティンを組み込んでいたから驚いた。
ある日、いつもなら自由にしている時間にいそいそと動き出し、洗濯ハンガー類を準備し始めたので何事かと尋ねると「ママがすぐ干せるようにっ」と覚えたてのウィンクをされてドキッとした。メイクを終えたら洗濯物を干す準備に取り掛かることをちゃんと見ていたのだな、私のためにやってあげようと思ってくれたのだなと嬉しくなり内心きゃっきゃする。
洗濯機が終わるまでの時間、私は掃除機がけとトイレ掃除を済ますのだが、その時も遊びを中断してキャディさんのようについて回り、ゴミ箱をスッと持ってくれたり、ダイニングの椅子を後ろへ引いて「はいどうぞ〜」とアシストしてくれるものだからもはや舌を巻いた。もともと人の役に立ちたい精神は強めの方だったけれど、それにしてもそつがないな娘よ。
そしてトイレ掃除をする私のもとを離れたかと思うと脱衣所にたたたーっと駆け、「洗濯機あと3分だよ!」と確認事項を報告しつつ掃除機をさらっと片付ける姿を見た時にはもうぶわぶわと敬意やらときめきやらが押し寄せて、娘の顔をこねこねしまくった。我が家の愛情表現は独特で、頭なでなでではなく、顔わしゃわしゃか顔こねこねなのだ。褒められたい時、娘は「パンこねこねして〜」と顔を出す。
ともかく私の家事ルーティンをバチっと頭に入れ、事がスムーズに運ぶようにと先回りして動く様子はもはや職人技で、こんな人が職場にいたらもう絶対に憧れの存在だ。デキるアシスタントとかデキる秘書とかいう異名で周りをざわつかせるレベルだから、タダでサポートしてもらってバチでも当たらないかとちょっとそわそわしてしまう。なにしろ娘はそれをあっという間に、何でもないことのように自分のルーティンとして機能させ、むしろ私がぼやぼやとしていると「次はこれやるよ!」とお尻まで叩いてくれる管理っぷりだ。こんな働きかけにお給料が発生しないなんてと思ってしまうけれどそこは「家族のお仕事に協力してくれてありがとう」と伝えている。
何にしても、変わらないことと変わること両方にうまく関わっていけるというのは強いなあと思う。
私は昔、一度決めたら変えない!みたいなルーティン魂が培われていて、むしろ変えないことがかっこいいのだとまで思いめらめらと生きていたから今思えば融通の利かない人間だったのだが、娘がやって来てから変わった。なるほど、娘は「変わることを前提に」生きているからくるくると難なく応じていけるのだなと学んだ。
ある日、幼稚園に向かいながら歩いている時にお誕生日会の話になったことがある。
娘の園では毎月、その月のお誕生日の子どもたちを全学年でお祝いするお誕生日会があるのだけれど、自分は8月だった、楽しかったと話してくれ、また今年もあるよと言うと今年の誕生日は何月にあるのかと聞いてきた。年中さんに変わるのだから誕生日も変わるだろうと思ったらしく、変わることへの活気がすごいなと良い意味でおたおたする。
後日、今度は年中さんになったらお父さんとお母さんは誰に変わるのかと聞いてきていよいよ笑ってしまったのだが、どんなに大きくなろうともお父さんとお母さんは変わらないことを伝えると「この家族面白いから変わらなくてよかった」とからから笑った。
その規模感で変わる想定をしながら生きているのだから、日々のちょっとした変化など娘にとっては何でもないことなのだろう。変わらないことをこよなく愛し安心もするのだけれど、変わることも楽しんでいける軽やかさはむしろ私よりも自由だと思う。
それにしても、さまざまな学びをいちいち笑いつきで運んでくるな娘よ。







