生まれる前の記憶を持っていた娘が教えてくれたこと。

鳥という記憶

胎内記憶のエピソードはいろいろ見ていたけれど、我が家のはどこかちょっと違った。スタートが。

どうしてママのところに来たの?と聞くと、それはね〜と理由を話し出す子。
お腹にいた時のこと覚えてる?と聞くと、覚えてるよ〜と語り始める子。

そういう、質疑応答では始まらなかったのだ。


それは娘が2歳半の頃。

お風呂からあがり、脱衣所でパジャマを着ながらお話していた時のこと。突然、自分のことを「な〇〇〇ちゃん」と呼び始めた。

まだ舌足らずな発音なのでなんて言っているかよくわからず、聞き間違いかな?とも思い、見過ごした。

ところが2〜3日観察を続けてみると、やっぱり「な〇〇〇ちゃん」と呼んでいる。そしてやっぱり聞き取れなかったので、少し緊張しながら「なんて言ってるの?」と聞いてみた。

すると、ゆっくりと、「な・ん・く・る ちゃん」と教えてくれた。

なんくるちゃん…????
なん、くる、ちゃん…????


実際はもっとたくさんのクエスチョンマークがぐるぐるとしていた。
だって、娘の名前は「そう」だから。

私もパパも、「そうちゃん」とか「そうてぃんちゃん」と呼んでいたし、なんくるちゃんというお友だちもいない。
youtubeとかで出てきたんだろうか…?

何にしても、初めて口にした自分の愛称が全く別の名前だったことに、驚きを隠せなかった。

けれど、直感的に、生まれる前の自分=過去世 のことを言ってるんじゃないだろうか、と、冷静に考える自分もいた。
そしてたぶん、鳥だったんだろうとも。

そう思った理由は2つ。
単純に、なんくるっていう響きが、ヤンバルクイナ (沖縄の山原地域のみに生息する鳥) を連想させたということ。
もう1つは、鳥への尋常じゃない反応だ。

もともと、お外に行くと、鳥にものすごく反応を示す子だった。公園で、ちっちゃい子どもがよちよち鳩を追いかける姿をよく見ていたから、子どもはみんな鳥が好きなものなんだと思っていた。
にしても、娘の追いかけ方は常軌を逸している感じがした。
自分も鳥にでもなったかのように鳴き声をあげながら走っていき、仲間にでもなったように本当に楽しそうで。
家でも、わんわん、にゃんにゃんよりも、ぴっぴーと鳥真似をすることが多かった。


これは後になって考えてみたら、の話だけれど、なんくるちゃんが登場するまで、公園で知り合いの子どもたちに「そうちゃん!」と呼ばれても、仁王立ちで無反応ということも珍しくなかった。
親の呼びかけには反応するのにな〜…せっかく呼んでくれてるから、手を振ったりにこっと笑ったり、なんか反応したら?と伝えてはいたけれど、どこか納得していないみたいだった。ただただ、ちょっと人見知りなのかな〜と処理していた。

「だってわたしはそうちゃんじゃないもん。なんくるちゃんだもん」
思えば、そういう気持ちだったのかもしれないな〜と、後になってから思った。
だから、親は特別によしとしていたけれど、いつもどこかに戸惑いはあったのかもしれない。


何にしても、昔々の記憶がまだあるのなら話を聞いてみたいと思ったので、ある日「なんくるちゃんてさ、何のこと?」と聞いてみた。
すると、「とりだよ」という答えが返ってきた。
え、ママそんなことも知らなかったの?とでも言うように。

「そうてぃんちゃんは鳥だったの?」
「そうだよ。ままご(たまご)からポカっとうまれて、とんで、おいかけっこしてたんだよ」

「なんでママのところに来たの?」
「うーん、ママがさみしくないようにきたんだよ。なんくるちゃんはおそらとんでたんだよ。おそらとんで、ママさみしくないようにみつけてきたんだよ」


本当にそうだったのかは確かめようがないけれど、まだストーリーを作れるような段階じゃなかった娘がそう話すんだから、きっとそうだったんだろうなと。
いろんなエピソードや心当たりも手伝って、すごく腑に落ちた。


だから、私たちは「なんくるちゃん」と呼ぶことにした。
そうてぃんちゃんは、もうなんくるちゃんじゃないんだよって言うのは簡単だけれど、その記憶はきっと彼女にとって素敵な記憶で、私たちも大事にしたいと思ったから。
人間は忘れる生き物だけれど、私を見つけてくれた瞬間を2年半も覚えてくれていて、しかも伝えてもらえたって、それはやっぱり大事なメッセージだと思ったから。


なんの繋がりもなくここに来たわけじゃない。
縁があって、一緒になった。一緒にいる。

そのことが、より関係性を深めてくれた気がする。結びつきを強めてくれた気がする。


聞かれたら答える、じゃ、伝えられないかもしれないから、「呼び名で提示する」という方法をとってくれた娘が、なんか娘らしいなと思った。
娘は娘で、もう2歳になっちゃったけどママ全然聞いてこないな、どうやって伝えよう?って、思案していたのかもしれないと思うと笑ってしまう。

独自の方法で役割を果たしてくれた娘に、すごくすごく感謝している。



娘のこの記憶はというと、3歳2ヶ月の時になくなった。
幼稚園に通い始め、周りから「そうちゃん」と呼ばれる環境にいる中で、だんだんとなんくるちゃんが出てこなくなった。

それでも、2ヶ月くらいは園でも自分のことを「なんくるちゃん」と呼んでいたようで、先生に「そうちゃんは自分のことなんて呼んでるんですか?」と聞かれたりもした。
簡単に経緯を話し、親としてはなんくるちゃんを否定せずにいきたい旨を伝えると、先生方も尊重してくれた。

なんくるちゃんも自分、そうちゃんも自分。
そんなふうに過ごす中で、「なんくるちゃんはね、もうすぐいなくなるよ」と言っていたかと思ったら、完全にそうちゃんになった。
なんくるちゃんのことを聞いても、「おぼえてない」と言うようになった。

7ヶ月くらいだったけれど、生まれる前の記憶を持った娘と過ごした日々が、今の私の関心事をつくってくれている。
人間てなんだろう?運命ってなんだろう?一緒に生きるってすごく尊いことなんだ、という、人間理解を深める機会を与えてくれている。


子どもから教えてもらうことはとても多い。
親子である前に人間同士。学び合って、高め合って生きていけたら、こんな嬉しいことはないなあと思う。

鳥という記憶

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