与えるということ。

ハートを描く子ども

滅多に泣かない私が、1年前の動画を見ていたら、泣いてしまった。

そこに映る2歳の娘は、舌っ足らずで、声もちょっと高くって、今よりちっこい生き物だった。今よりもダイナミックさが薄い、どこかおっとりとした娘。

胸の奥がきゅきゅう…となって、顔がほころんでしまうほど愛くるしい。目に入れても痛くないって言うから、もういっそ入れてしまおうと思うくらい。

こんなだったっけなあ。
成長したんだなあ。

すくすくと育つ事実に喜びを感じた。


だけど流れるのは、喜びの涙じゃなかった。


もっと優しくしてあげればよかった。
もっと大らかな母でいてあげればよかった。

あの頃の自分を否定して何になる、と思いながらも、私の心は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。



それってなんでだろうって考えたら、「与えること」に長けていなかったからだって気付いた。
もっと言えば、与えることは喜びなんだと、知らなかったから。


与えてもらったら、嬉しい。それはシンプルでわかりやすい喜び。

じゃあ与えたら?
それは、与えてもらうよりも嬉しい気持ちになるものなんだ。

損をすることでも、自分を犠牲にすることでもなくて、むしろ逆。
相手に与える、親切にするというのは、自分を満たすことができるとても尊いことなんだと思う。


この前すっごい疲れてるタイミングで、追いかけっこしようよって言われた時、えー…って出そうになったんだけれど、そこをうん!いいね!やろうよ!と言えたら、なんか良いことした〜って嬉しくなった。

これやってよ!って生意気に言われた時も、お願いする態度じゃない!を飲み込んで、おっけ〜!でも気持ち良くやってもらうためには「これやってくれる?」の方がいいね、って言えたら、寄り添えた自分を誇らしく思えた。

自分で自分が嬉しかった。


そういう、与えられることでの喜びじゃなくって、与えることでの喜びが原動力になるっていう実感があって、愛ってきっとこうやって育てていくんだなあって。

時間を使う、笑顔や明るさで照らす、ぬくもりを分ける、思いやりを注ぐ。
与え方はいろいろあるけれど、今、その時その時で、何をしてあげられるだろう?どうしたら喜んでもらえるだろう?と、自分ができる全てを向ける。積極的な姿勢で、一生懸命向き合う。

それが、もう戻れないあの時間を、もう変えられないあの時の自分を認めてあげることなんじゃないかなあと思った。

ハートを描く子ども

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