年中さん発表会。「正解」よりも「つながり」を選ぶ熱い人。

年中さんの女の子

成長の輝きが1年分まるごと結集する「生活発表会」が、今年度もあった。正式には「卒園記念生活発表会」と称され、主役はまもなく卒園を迎える年長さんたちだ。なんと今回は記念すべき第100回ということで、先生や親御さんたちの気迫が満ち満ちて光る。昨年度は娘も年少さんとして参加し、ダンスや合唱、打楽器を使った合奏を、体育館がそのまま野放しにされたみたいなステージでのびのびと披露してくれ、社会の一員として一生懸命役割を果たす姿にぼろっぼろ泣いた。生まれつき笑いの神に溺愛される娘だから、感動を追い越して面白いが圧勝する場面も多く、総合的に笑いに振り切った発表会だった。「最高だ最高だ」「らしい発表会だったね」と、パパと一緒に狂喜した。一直線に取り組んだことに、親がめいっぱい喜んでくれる。そういうことに本人も大変充実感を感じたようで、今回の年中さんの発表会も前々から楽しみにしていた。
3学期に突入し、1ヶ月前から練習が始まったのだけれど、「そうてぃんちゃんの役が、なんと決まりましたー!」と豪快なうやうやしさで教えてくれ、どうやら劇をやるらしい。大イベントゆえ、保護者向けの「生活発表会打ち合わせ」なるものがきっちり1時間あって、年中さんは「劇・100かいだてのいえ」と「舞踊劇・さるかにがっせん」に分かれ、娘は劇の方でことり役を演じるという。ダンスや歌も合間に入るいうことだから、いわゆるミュージカルのようなものだろうか。「そうてぃんちゃんはことり役なんだね!」と言うと、「そうだよ!鈴だよと、友だちになれたねを言うんだよ」と、ひとり台詞まで仰せつかっていることを教えられ、役割の重みにこっちが緊張する。「友だちになれたね」なんてめちゃめちゃいい言葉じゃないか。これはぜひ客席の隅々へと届けてほしいぞと、マイクを使って話す時の大事なポイントをアドバイスする。「マイクは口が近くにないと音を拾ってくれないから、マイクの前にちゃんと立って、口を近付けてから話して、最後まで話し終わってから戻るんだよ。せっかくの台詞お客さんに聞こえなかったら悲しいじゃん?」と話すと、「うん、でもさ、マイクに口はつけちゃいけんよ」と、むしろこっちが注意喚起されて「確かに」とうなずかされる。さすがルールに忠実、王者獅子座だ。毎日の送迎の中で先生方も練習の様子を伝えてくれ、「台詞を忘れちゃったお友だちに、こうだよって教えてあげてました」と、誠実さと揺るぎない仁義に誇らしくなる。お節介に片足を突っ込んでいるような振る舞いも多い人ではあるけれど、困っている人を見過ごせないという熱気がぱんぱんなところに尊敬しているし、彼女の人間味が滲み出ていて好きだ。
昨年は、毎年借りていたホールに直前でトラブルがあって、急遽他のホールが手配され、やむを得ずお昼からの開催となったからゆっくり準備ができたのだけれど、今年はまた初めてのホールかつ朝が早い。5時には起きようと3人で気合い十分に結束し、大人たちも早めに布団に入った。無事、寝坊することなくしゃんと起き出し、晴れ舞台に向けておのおの緊張しながら準備を進める。「緊張してる?」と聞くと、「うーん、それよりもまーむちゃんに会えなくなるから寂しい…」と泣きそうな顔をするから、「会えないのはちょっとの時間だから大丈夫だよ!」と元気付ける。相変わらず感受性がフルボリュームだな。娘の劇はプログラム2番で、開場したらそのまま集合になるからことりの衣装を家から着て行く。一度衣装合わせはしていたけれどやっぱりかわいい。黄色いことり。安定の編み込みでばっちりヘアセットし、8時半すぎにタクシーに乗り込む。
10分ほどで到着すると、すでに入り口外に大行列ができており、みんな9時の開場を待って並んでいた。なんせ今年は昨年より小さめのホールで (昨年のホールはちょっとしたライブができそうな規模の大ホールだった) 、なおかつひと家族3席までと制限があるからみんな良い席を確保しようと全身全霊なのだ。ちょっとのんびり来すぎたかなあと、適当に悔いていざホールに入ると、狙っていた辺りの席はまだガラガラで結果オーライ。ほぼ埋まっているのはステージに1番近い島だ。娘のステージの立ち位置は、劇も合唱合奏も向かって右側だから、後方右の島の端っこ3つを手中に収め、同じ演目に出るそよちゃん (仮です) を見つけたから一緒に集合場所へ向かう。そよちゃんは白い衣装でうさぎ役だ。うさ耳に見立てたぴょんぴょん結びがかわいすぎて、うさぎとことり並んで撮影。途中、満3歳児クラスの時にお世話になった先生と鉢合わせ、2人は「観に来てくれたのー?!」と飛びつく。育休中のところ、赤ちゃんをパパに預け来てくださったようで、「来るよ~~」と先生もにっこりハグ。記念撮影をして、「頑張るね〜!」とお姉さんの顔で勇壮に駆け出した。大ホールに戻りがてらそよちゃんのお母さんから、「8時に来た時点でもう並んでいる人がいた」と聞いて、本気の密度に軽くのけぞる。来年は最後の年だから意気込むつもりではあったものの、8時に並ぶ自信はまるでない。
さて、とうとう開演。年少さんのかわいいダンスに胸きゅんし、「あ〜去年はこんなだったなあ〜。もしかして娘たちの代の方がフォーメーションの動き上手かった!?」と明らかな親バカを爆発させ、パパに次の動画撮影をお願いしているとあっという間に「100かいだてのいえ」が始まる。予習のために絵本を読んだところ、ある日、星を見るのが大好きなトチくんのもとへ、「100かいだてのいえの100かいに遊びに来てね」と差出人不明の手紙が届き、「誰からだろう?」とトチくんは出かけていく。階段を登るごとにトチくんはさまざまな動物や虫に出会い、仲良くなって、とうとう100階に住むクモのおうじさまに会う、というお話だ。絵本の中にことりもうさぎも登場しないが、子どもたちで意見を出し合って、発表会用にアレンジしているらしい。
小さい人演じることりたちは、劇開始後すぐに出番となった。鈴を片手に、ことりの羽に見立てたマントを颯爽と揺らし、それはそれは凛とした歩みに感心していると、娘は立ち位置に着き次第、片手をおでこに添え、どこだ〜?と「遠くを見て探すポーズ」をし出したから、「そういうお芝居なのだな」と思って見ていると、他のことりは直立していてどうやら芝居ではないらしい。まさかとは思うが、我々を探しているのではあるまいな…?こんな見せ場で…?ちょっと何かが起こりそうな予感に潔くおろおろし、だけど「また何か笑いを添えてくるな?」と面白がりもして、とはいえ「今は気をそぞろにせず頑張ってくれ〜!」と情緒が忙しない。しかしお話は進んでいき、なんとか切り替えたのか、「鈴だよ」の台詞をバチっと言い切って素晴らしい。その台詞の後のダンスも、一生懸命やり切ることだけを考えたオーバースイングでもはやひとり舞台のように踊りまくり、隣の子の前に乗り出す勢いだったからハラハラしたが、あまりに果敢に一意専心で、気持ちの中ではスタンディングオベーションしていた。またしても全観客の記憶に刷り込んできたな…?「友だちになれたね」の台詞も、アドバイスした通りの忠実さで圧巻だ。ピシッと直立不動で落ち着き払っていた。さっきの舞との温度感に開きがありすぎて、我が子でなければ「あれ?この子ってさっきの踊り子と一緒だっけ?」とわからなくなりそうだ。何事もなく舞台袖へと帰って行ったからふうと息をついていると、今度はうさぎたちが登場して、そよちゃんが台詞となわとびを頑張っていた。大勢の前でなわとびをするなど緊張の極みでしかないと思うのだが、そよちゃんは自分のペースで軽々前とびをして、ほぼつっかえることなくとび続け観客を沸かせた。これは確かに、現時点での娘には仰せつかれない役目だ。先生の采配が全てを理解していて頭が下がる。その後かえるたちも登場し、最後にみんながまた集結してきらきら星を歌い踊り始めた。これもまた見せ場だなと姿勢を正して見つめると、娘は役目を終えたような雰囲気で妙にリラックスしていて、どうもぼんやり客席を見回し振り付けもぼんやりしていてどうしたどうしたと思っていると、段から降りられなかった隣の子に気付き、手を取って一緒に降りてあげていたから目頭が熱くなる。わたしゃ、一生あんたを推すぜ。感動に顔を濡らしているとフィナーレを迎え幕が降り始めた。拍手が鳴る中、娘は幕が降り切る手前で我々両親を見つけたのか、サッとしゃがみ、幕に負けじと手を振ってそのまま演目を終えた。「演出より我の人」、というコントを見せられているような気持ちになって、笑いと意外が入り組み微妙な顔で隣を見ると、パパも微妙な顔でこっちを見ていて2人で笑う。あれだけ風紀を重んじ、かっこ悪いところなど見せられぬ王者獅子座が、役になりきるより親探しに熱心になるなど誰が予想できただろうか。
「なんかもう最高だね」と、私は一旦王者を迎えに行き、「まーむちゃんっ!!!」とぶんぶん手を振る王者に「頑張ったね!!見てたよ!」とわしゃわしゃ愛でる。次はプログラム8番の合唱・合奏に向け制服に着替えて、「舞台に出た瞬間から終わるまでみんな見てるから、待つ時は気をつけで、手も振らないようにしようか」と伝えると、「うんわかった」とうなずき、「まーむちゃんたちも手振らないでよ?」と、統率者の風格で注意してくるからやっぱり王者か。ただ彼女らしくやり切ればいいとは思ったのだけれど、劇とは違い、1人の動きが作品としての出来栄えを左右する。これは伝えておいた方がいいだろう。
いよいよ幕が上がり、みんなの英姿が飛び込んでくる。元気いっぱい「世界中のこどもたちが」を歌い、集中して「ジェンカ」も演奏、娘も本当によく頑張った。初めてとは思えない鍵盤ハーモニカの弾きっぷりには舌を巻く。拍手の中、いや〜最高最高と笑っていたのも束の間、幕が娘の顔辺りまで降りたところで、本日2度目の我を出す人見参。ここで手を振らねば名が廃るといわんばかりの機敏な動きで、そこまでの想いだったかと愛おしくなり、でもやっぱり可笑しくて2人で笑った。
全プログラムが終了し控え室に迎えに行くと、やり切った顔で帰ってきて、「よく頑張った!かっこよかったよ」と労うと、「お腹すいた〜」と嬉しそう。発表会が終わったらマックが食べたいとリクエストを受けていたから家でチーズバーガーを頬張り、「楽しかった?」と聞くと、「楽しかったっていうか、まーむちゃんに会えなくて寂しかった」と、母に対する愛の重さが揺るぎない。「緊張した?」「緊張した」「どの時が1番緊張した?」「マイクでしゃべる前」「確かに、みんながそうてぃんちゃんのこと見てる瞬間だもんね。でもそうてぃんちゃんの方からお客さんの方見えなかったでしょ?」「うん見えない。でもまーむちゃんたちのことは探した」と、やっぱり探してたんだね。
夜、説明できない手触りがもわもわ残って、やっぱりChatGPTに尋ねる。娘は小さいが人間のベースができており、普段は周りをよく見て動く風紀委員タイプなのだけれど、発表会の舞台ではややひとり舞台気味で、親を探して手を振るという珍行動も見せてくれた。娘の気質も含めどういうことなのか見解を聞かせてほしい。私としては、「人前で何かを発表する」ということの意味がよくわかっていないことが原因なのではないかと思っていて、ただ総じて、「家族が大好きすぎる」ということだと思っているけれどどうだろうか?
すると、1つ1つクリアに説明してくれる。

・年中さんはまだ、自分が「作品の一部」という理解が途中
・ただ、マイクの使い方やセリフを覚えるなどのルール理解と遂行能力はかなり高め
・が同時に、視界に「大好きな人」が入ると感情が一気に動き、優先順位が一瞬で入れ替わる
・実は日常で秩序を守る子、周りをよく見て気付く子ほど舞台では自由になりがち
・理由は、いつも先生や友だち、いわゆる「外」を見ている子が、初めて「自分に集中していい場」に立つと感情を抑えなくていいから噴き出してしまう
・その結果が、親探しや、しゃがんでまで交信するという行動につながった

まとめると、ほぼ確信寄りで家族が大好きだという話だったから、愛おしさに溢れ大人2人でぼろぼろ泣いた。決して「甘え」や「未熟」ということではなく、安心基地が明確だからこそ遠慮なく気持ちを飛ばせ、特に娘は頑張る意味を誰かに届けたいタイプだから、「見てる?」「できたよ」を最短距離で我々に投げてくれたようだ。それが今回たまたま、舞台という「全体優先の場」だったというだけで、いたって娘らしい発表であったし、今後、「舞台の上ではお客さん全員に見せる“役の顔”をするんだよ」と、役割の切り替えとして伝えられれば、もう舞台上で親を探さず、でも終わった瞬間に満面で手を振るという感じになりやすいだろうとのこと。
人生何度も周回してきているような、親バカを封じて言ってみても娘は「達観した小さい者」だから、全てを理解し、特に外界では今どうあるべきかを常に優先するタイプだと思っていた。しかし、違うのだな。どれだけ達観していようと、我々に似てみなぎるような感情を飼い、理性を飛び越えれば「正解」よりも「つながり」を選ぶ熱い人間なのだ。
日々愛を手加減なくぶつけてきてくれる小さい者に、我々もちゃんと応え、それ以上に伝えていかねばなるまいと、泣くわ誓うわで2人の情緒が渋滞した。

年中さんの女の子

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