夜、お風呂に入る前。バスケット山盛りになった洗濯物を、白と黒に分けながらネットに入れる。その途中で、ふと昨日の夕飯がよみがえり、手が止まった。
腹ぺこだった3人は、きょろきょろしながら街中を行進し、「良さげだね」と、ふいに現れた地酒と和食のお店に入った。日本酒がずらりと顔を揃え、ほっとする和の気配が満ちている。冷やしトマトと塩ダレきゅうり。焼き牡蠣にがんすと、広島を両手いっぱいに抱えて食らいつく。パパのリクエストで、「ねぎとろ沢庵」を注文。ねぎとろとたくあんを海苔に巻いて食べる、米なしトロたくみたいなメニュー。これがもうめちゃめちゃ当たりで、米がない分じゃんじゃんいけるのに、どこまで行ってもカロリーは0みたいな顔。食に突っ走りたい我が家には最高だった。1つ食べて、心をつかまれた娘は、「最後の、食べたい」と、パパにもう1つこしらえてもらう。「巻くものがなくなったら悲しい」という気持ちがツンのめって、まだたんまり残っているのに、サービス精神満点のひと巻きが完成する。娘は、それをわむっと半分口に入れ、一瞬止まった。噛み切るか、いくか。食に果敢な娘は、もちろんいった。それを見ていた私は、思わず強い声で言っていた。「入れてみて、無理だったらやめなよもうー!」と。ハムスター化した娘を前に、本気のトーンで言い放った。その時の娘の顔が、忘れられない。恥ずかしさと後悔と、それでも飲み込まなきゃいけないまぬけさが、全部いっぺんに乗っていた。「見ないでくれ~」とでも言うように、頭を抱えてまるくなる、王者獅子座。普段から風紀を重んじ、正しさを大事にして、それを周りに伝え歩くような人だから、注意される側になるとたぶん、顔から火が出るほど恥ずかしいのだと思う。ああいう顔は、泣き顔よりもつらい。見ているこちらの心が、じわじわと握りつぶされる。
だったら、どうしてあの時、あんな言い方をしたんだろう。半分口に入れた時点で、もう無理なのはわかっていた。「噛みちぎって食べな〜」とか「半分ずつね」とか、まーるく差し出せた言葉はいくらでもあったのに。食べたい気持ちが宇宙一に輝く人なのだから、「しょうがないなあ」と笑えばよかったのに。
それでも私は、「怒」を選んだ。特盛なんだから、「もちろん噛みちぎって食べるだろう」という期待。それを裏切られた、という小さな苛立ち。あるいは、あまりにもまっすぐで動物的な「食べたさ」に、人としての整然を求めてしまったのかもしれない。
でも本当は、かぶりついちゃう思い切りも、小さく、まるくなる姿も、かわいいなと思っていたんだよ。次は、あの顔にさせないように、そっと声をかけられたらいい。
〆に、特製の塩むすびを頬張る、あの幸せそうな顔を思い出した。

