ハレをめいっぱい楽しむために、ケを極めたら。

軽やかに走る少女

我が家は、娘も私も旦那さんも食べることが大好きだ。
食べ物の話をしている時がおのおの1番いきいきとするし、3人とも苦手なものはあっても嫌いなものはない。ほぼ好きなもので構成される世界で嬉々として生きている。

自分たちのことながらすごいなと感心するのが、いつでも何でも「おいしそうだ」と思えるアンテナを持っていることだ。
天ぷらもりもりうどんを食べ、親子丼をつつき、ふう〜満足だ〜のあとすぐ、「わあ〜おいしそう〜!」とカレーやステーキのディスプレイにこぞって喰い付ける。もちろん、それがパフェやらドーナツやら、甘いものならもれなく「食べたーい」もついてきて、お腹が律儀ににゅっとスペースをつくり始めるから驚きだ。
フードコートに行くと、本物さながらの食品サンプルたちが大集結しているが、もうおいしそうを通り越して「これ持って帰りたいくらいだね〜」「お店の人くれないかな?」などと結構本気で話したりしている。

お店に入ってメニューを見るのも大好きで、並んでいる間に何を頼むか決めたのに、それでもまた見る。注文したいからメニューを見るんじゃなくて、メニューを見たいから見る。だから食べ終わってもまた新鮮に見る。
お家で食べるごはんも好きだけれど、これだからやっぱりお店で食べるごはんは格別に楽しい。

我が家で旅行と言えば「食い倒れツアー」のことで、それがディズニーだろうとUSJだろうと、「何食べる〜?」が計画のメインだ。日本屈指のテーマパークが相手でも、我々の食欲はどんと構えて揺らがない。
るるぶにマーカーと☆マークでチェックを入れ、バチっと付箋も貼り、どのタイミングで何を、どういう順番で食べ歩いていくかを真剣に検討する。胃は1つしかないのだから、スペースを無駄なく、且つ食べるもの全てに絶頂の「おいしい」が飛び出すルートで行かなければ、胃にも食べ物にも申し訳が立たない。
だからスケジュールをしっかり組んで出陣する我が家なのだが、その時々で反応する食アンテナを尊重したいタイプでもあるから、結局予定外のものも食べることになって、「胃がもう1こ欲しいよね」などと言ってたりするから困ったものだ。

娘は時々、「今日は夢を見るんだ〜」と、「今日のおやつはビスケットにするんだ〜」みたいな言い方で、今日はこういう夢を見る予定ですという話をしてくれる。
どんな夢を見るのかと聞くと、「おじいちゃんおばあちゃんちでご馳走を食べる夢と〜すてきなホテルでごはんを食べる夢と〜プリンセスになってドレスを着てパーティーする夢と〜あとドーナツの夢と〜、11こも見るよ」と言う。
ほぼ食べる夢だ。夢の中ですら食べたい。それが娘だ。食欲が凄まじいな。

そんな感じで、食欲に忠実に、食べることが生き甲斐の我が家だけれど、健康には気を使いたいし、体型も維持したいという欲も人並みにはあったりする。欲張りだと自分を戒めながらも、どうにかどちらも叶えられないものか。

そこで取り入れたのが、ハレとケ食事法だ。
世間を賑わせているのでみなさんもうご存知だと思いますが、的な物言いだけれど、残念ながら隣家すら賑わせてはいない。が、これが結構いける方法で、運用し始めてもう数年だろうか。

そもそも「ハレとケ」とは、「ハレ (非日常) = 特別な日」と「ケ (日常) = 普通の日」を表した、明治時代頃に生まれた言葉で、1年という月日、人生という月日にメリハリをつけるための考え方である。
つまるところそれは、食事に、食べる物にメリハリをつけて人生を楽しもうという考え方なのだ。

私はこのハレとケという言葉が好きだ。
振り幅のある感じ。こっち側と、あっち側も楽しめる感じにときめく。
1年が特別な日と普通の日で形成されていることを、私はこのハレとケという言葉で初めて意識したし、食事は、人生は、メリもハリもあるから楽しいのかもしれないと思うようになった。

それこそ若い頃は、ただ寝てただ起きて、冷蔵庫のあり物をテキトーにつまんで、そんなふうにぼやぼや過ごす日常にほとんど意味を見出せず、無駄にした、みたいな感覚すらあった。非日常だけが色鮮やかだった。
けれどいい大人になって、日常に救われることを知り、それどころか日常があるからこそ非日常が輝くのだと、じわじわ染み入った。

平日、ストレス社会に立ち向かい、空腹を満たすだけの食事を機械的に済ませ、ただ自分の仕事に打ち込む。変わり映えのない毎日にやきもきもするが、それを生き抜いた先にある週末。確かに飯がうまい。酒がうまい。
なるほどなるほど、ケはこうして活きてくるのか。ケあってのハレなのだな。そうしみじみ思う。

ところで我が家の生活スタイルなのだけれど、週に一度、日曜日が3人で過ごす特別な日だ。
それ以外、月〜金は娘は幼稚園に通い、私は仕事、旦那さんは月〜土で仕事だから、6日をケ、1日をハレで過ごす、「ケケケケケケハレッ!」が我が家のリズムだ。なかなか乗れる語呂だ。

そもそも我々のハレについてだけれど、食べたい物を存分に食べる、食べていいという日にしている。
食べると言っても、3食弾けるということではない。お昼ごはんの1食と、おやつに全てを懸ける。ハンバーガーからのクレープもあれば、お寿司からのドーナツ、唐揚げ定食からのポテトとアイス、なんてこともある。
食フェスみたいな催しが近所の広場でたまにあるのだが、それに出陣した時は夕方までぐるぐる食べ回り、さすがに食べ過ぎたね〜なんて話していると、娘は「ねえ、夜ごはんは何食べる?」とか言い出してくるからぶったまげる。
どうやら、「だってこれはお昼ごはんだったでしょ?夜ごはんは食べてないでしょ?」という言い分らしく、これからお昼ごはんと夜ごはんをいっぺんに食べに行きますという告知が必要だったのだと、あとになって気付いた。抜け目ないな娘よ。

それはさておき、もちろんお腹の具合いと相談はしなければいけないが、週に1度の楽しみなのだからと、こんな感じで夢のような舞台を用意して、3人揃ってウハウハしている。ちゃんとやり切ると、大抵夜はお腹が空いていないのでスキップして、また来週のハレを楽しみに、そして明日から始まるケへの意欲を燃やし布団に入る。
4歳の娘は、前までは欲望のままに食べまくり腹痛を起こすこともあったが、今では自分でコントロールできつつあるから、最後の最後までハレている。愉快だ。

さて、ケの日の食事はというと、質で見ても量で見ても、とても慎ましい食卓だと思う。侍か?みたいなメニューだ。ハレの弾け方がそんなだから、それこそ圧倒的に簡素に振り切らないとバランスが取れないのだから仕方がない。
何を食べるかは結構気分で決めたりするが、何を食べないかだけは決めていて、肉と炭水化物は控える。肉の役割は魚や大豆類、卵が、炭水化物の役割は根菜類が立派に代わりを務めている。娘は給食があるから、毎日肉も米も食べてくるけれど、朝と夜は大人と同じメニューだ。

例えばメインだと、揚げ出し豆腐、納豆たまごやき、野菜巾着の煮物、厚揚げの照り焼き、鮭の南蛮漬け、エビとブロッコリーの炒め物、はんぺんのチーズ焼きなどなど。
副菜だと、油揚げ入り切り干し大根、かぼちゃの煮付け、大学芋、ひじき煮、なすの煮浸し、里芋の煮っころがし、ブロッコリーとカニかまのマヨサラダ、いんげんのごまあえ、おから蒸しパンなどなど。
汁物は、かぼちゃのポタージュ、麩の味噌汁、玉ねぎと落とし卵の中華スープ、なめこ汁なんかが定番だ。

基本は和食だからなんとなく華やかさに欠けるけれど、これも不思議なもので、毎日食べていると我が家感が出て、落ち着いてくる。娘がわりと、大人が好みそうなものが好きなことにも随分救われていると思う。

あと気を付けているのは、少なく食べるということ。娘には腹8分目の、自分には腹5分目の法令を出している。
いかなる時でも腹と徹底的に対話せよ。さもなくば切腹じゃ!とはならないが、自分の体の感覚に従って、食べ過ぎない努力はするようにしている。

ところで、それで1日頑張れます?
そう、問題はそこなのだけれど、驚くことにいろんな面から見て今が1番調子がいい。それは娘も同じで、大人と子ども、確かに違うのだけれど、やっぱり人間という部分では同じなんだなと改めて思う。

実は、ハレとケ食事法始めたての頃はまだ肉を食べていたのだが、体の変化を見ながらあれこれ試してみて、今はここに落ち着いている。結局、「体を軽く保てるかどうか」が、ケの明暗を分けるとつかんだからだ。

食べることが大好きだからこそ、体の感覚に鋭敏体質な私は、20代で炭水化物と相性が悪いことに気付いた。
まず、太る。炭水化物=太る というのはもはや常識になったけれど、私の太り方はどうも奇怪なのだ。顔から丸みを帯び始め、徐々に体にも広がっていく、みたいなバランスの良い太り方ではない。顔がまずぱんっぱんになる。もうさすがに無理じゃない?くらいに見えるのに、そこからなお遠慮なく大きな丸を極めていく。明らかに顔だけに反応している。遺伝的なものが活きて、小さい頃から痩せ型の私は、太ると本当にフライパンみたいになるのだ。どん!と丸い本体に、ひゅっと取っ手が伸びる。あのバランスだ。そしてあのバランスなのに、ちゃんと全身重い。

顔が太ることも、体が重いこともそうだけれど、それに輪をかけてフライパン仕立てになる自分が自分で耐えられず、白飯もパンも大好きだが普段はやめることにした。
その分、肉はどんどん食べた。炭水化物を食べないのだからと、自分にGOサインを出した。牛、豚、鶏、どれも大好きだし、文字通り血肉になっている感覚に心が躍った。
野菜と肉、時々ナッツ。そういう食事が長らく続いた。

そして結婚し、私と旦那さんと等しく、いやもしかしたらそれ以上に食べることが大好きな娘が加わってから、さすがに野菜と肉だけの生活ができなくなり、試行錯誤する日々になった。娘の肥満経験がきっかけで、炭水化物の存在について考え、消化酵素と代謝酵素の協力体制を知り、いつの間にか食事改善ならぬ自分改善が趣味になった。
使う食材、食べ方、食べる時間など、微調整に微調整を重ねることで、自分の体に、引いては娘の体に合うものがわかってきた。
そして気付いてしまった。肉はうまいが、体にはまずいということを。

自分の体をよくよく観察したのだが、肉を食べると、体の感覚的にずしんとくる。内臓もずーっと重い感じが続くし、明らかに消化部隊が追いついていない感じがする。
体が重いと、不思議と腰が重くなる。よし動くぞ!とエネルギー補給したのに、ちっとも行動的になれない。仕事も捗らない。もういっそのこと、と、あろうことか食に走りたくなってしまう。
なるほど、大した量を食べてもいないのに、その代償はとても大きい。
これは、健やかに、軽やかな体で過ごさねばならぬケの日には適さないと、私の本能が直感した。

旦那さんに、「肉を食べた後の体を観察するに、どうも肉は良くない気がしているんだが、牛ステーキと鶏の唐揚げは強いて言えばどっちの方が体に悪いのか考えている」、と意見したところ、たぶん牛ステーキだと思うと言う。
揚げ物の方が良くない気がしていた私はえっっっ!?となったが、牛と鶏、明らかに牛の方が体が大きい。ということはその分持っているエネルギー量が半端ない。だからエネルギー量の観点で言えば、牛ステーキの方が人間の小さな体には過剰で、処理にパワーも時間も使うんじゃなかろうか。ということだった。
確かにそれは納得だ。2度揚げしてあろうが、超ジューシーな部位だろうが、鶏肉の方が断然軽い。食後にコーヒーでも飲めばスルスルと溶け出して、私の場合だとなかったことになるくらいのレベルまでいくけれど、牛ステーキはそうはいかない。あんなに噛み締めて食べたのに、まま姿を残して胃を陣取っているようだ。

肉の罪深い面を見て、我が家のケには、肉も参加しなくなった。
育ち盛りの娘のことが心配じゃないはずはなかったが、娘は1週間の給食を、肉肉肉魚魚みたいなバランスでしっかり食べてくる。もちろん白飯も、野菜も、果物までしっかりだ。お昼1食とはいえ、それだけガシッと食べてくれば十分というものではなかろうか。

そもそも、肉&炭水化物なしメニューになってから、娘もうんちの調子がすこぶるいい。毎日しっかり、出る時は3回出たりもするし、色も綺麗だ。
まるまるとしていたお腹もすっきりスリムになって、本人も「お姉さんのお腹だー!」と喜んでいる。

そして私はというと、生理不順が綺麗さっぱり治った。
学生時代から、2ヶ月に1回、1.5ヶ月に1回と、ふらふら定まらぬのが私だったのに、今はきっかり30日の周期になった。私きっちり来るよ〜と言っていた友人の話を、そんなバカな!いつもいつも同じ食事と精神で過ごしているわけじゃなかろうに、きっちりなんて逆に不自然じゃ?!と、珍しい動物を見るような目で見ていたことを猛省した。
そして周期が安定したことだけではなく、ものすごく鮮血が出るようになった。茶色…ギリギリ赤褐色?みたいな様子だったのに、紙で指をぴっと切った時の血みたいに鮮やかな色になった。
こうも変わるのか。バカで不自然なことを抜かしていたのは私であった。
体は、思いやりをもって生活すれば、ちゃんと応えてくれるのだ。ちゃんと変わるのだ。それを身をもって経験した。

人間に必要なものって、思っているよりもずっとずっと足りているのかもしれないな。
そんなことを考え、ハレ以上に、ケがどんどん輝き出した。

我々にとって、ハレとケとは結局なんなのか。
食べることを楽しみ、体を愛でることを楽しみ、引いては生きることを楽しむこと。

縁あって、食ラブな人々がせっかく寄り合ったのだから、おいしく、それでいて健康に食べていきたい。もっと極めていきたい。そう思う。

まーむ

日曜日になると「今日は特別だもんね!」が常套句になる娘に、いつかハレとケの話を、ケケケケケケハレッ!が我が家なんだと話してみたい。

軽やかに走る少女

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