生きることは、死ぬまで心を磨き続けること。

まっすぐ咲く蓮の花

太陽みたく肯定的で、どっしりと構えている娘も、時たまどうにも出来ない癇癪を起こすことがある。

こうしたい、こうしてほしかった、でもいやなんだ!
無茶苦茶なことを言う。地雷を踏んだ時のあるあるだ。

自分でも、この状況を打破したい気持ちはあるようだけど、それもまたうまくいかなくて余計に泣き叫ぶ。
こうなるともう、こちらにできることはない。



普段ひょうきんで、楽しく、笑いに生きているような子だけに、その差に驚かされる。

と同時に、消化しきれず少しずつ溜め込んで、ふたが弾け飛ぶような怒り方をする自分に似ているなと思う。
本当に背中を見て育つのか…
自分の悪い部分は似てほしくないという願いが、もしかしたら叶うのではないかと、少しでも期待していたことに呆れる。



数年前の体調不良を機に、いつでも心穏やかな人になると決めた私だけれど、まだまだ修行は続く。
今日は上出来だという日があったかと思えば、消し去りたいほど最低な日もあって、自業自得なのだがその波にひどく疲れ、貴重な自分時間に30分も放心することがある。



娘も大きくなってきて、物理的にラクになった部分は多い。
だけど、精神的な面では今が1番苦しいかもしれないと思った。
理想と現実のギャップがかけ離れすぎているせいだ。



今日も、謎のタイミングでブチ切れ始めた娘に、大きな声をあげてしまった。

ティッシュで涙を拭く!
存分に拭いてくれ!

途中そんなやりとりがあって、どうしようもなく滑稽に思えて、怒りを通り越して笑ってしまった。
それがまた火に油を注いだのだけれど。



3歳なんてまだ癇癪も残ってる時期。終わればラクになる。
確かにそう思うけれど、容赦無くぶつけられる怒りに、今もう耐えられない自分がいる。気にしない、流しちゃおう!とできない自分がいる。
だから、その怒りに「怒りで返してしまう自分」も、なかなか追いやれない。



そこで私は、娘と一緒に、協力体制で頑張ることを決意した。
私自身も、自分のイライラと向き合っていることを伝え、だから声をかけ合って頑張ろう!と。
名付けて、怒らない人同盟。
お互い、イライラしたら「怒っちゃいけんよ」と声をかけること。
普段から、焦らず落ち着いて、にっこりしながら過ごすこと。



同盟を結んだ日、1日ともたなかった。
夜には2人でブチ切れてしまっていた。
怒りを追い出せなかった。いや、追い出そうとも出来ていなかった。
最初に怒ったのはそっちだと、娘のせいにした自分が情けなかった。


飲まれるのも苦しい。
追い出すのも苦しい。
怒りと向き合うって、どうしてこんなに苦しいんだろう。



だけど、こんなことやってて意味あるんだろうか、とは思わなかった。
それだけでも、前進していると思えた。
自分にとっても、娘にとっても必要なことだと再確認できたのも、大きな収穫だった。



心穏やかでいるために、どんな出来事も「生きていればいろいろある」と、大きな心で受け入れられる人になりたい。
心穏やかでいるために、自分の不完全さを認め、人の失敗に寄り添い、笑って許せる人になりたい。



生きることは、死ぬまで心を磨き続けること。
娘にも、背中を見せながら伝えていきたいと思う。

まっすぐ咲く蓮の花

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